被災地につくられた新しい家
激震地の青川県から来た鄧彦林さんは5月27日にこのテント村に入った。地震発生後、彼は79歳の父を背負い、妻といっしょにまる5日間、山道を歩いてやっと逃げてきたのだ。当時、鄧さん一家は着の身着のままだった。彼らはまず救援ステーションに一週間寝泊まりした後、他の2つの家族とともに全部で六人で一つのテントに入った。「救援ステーションでは1日3食、食べさせてくれるばかりでなく、洗面器やタオル、布団などの生活必需品を支給してくれました。また、臨時のシャワー室で体を洗うこともできました……」と鄧さんは言った。
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綿陽市郊外に張られた被災者収容テント(5月26日撮影) |
5月19日、甘粛省で被害のもっとも大きかった文県の高校3年生たちの授業がテントの中で再開された |
四川汶川大地震は6月9日現在で69000人の生命を奪い、約600万戸が倒壊し、数百万人が家を失った。できる限り速やかに被災者たちの住むところを提供するため、一面のテント村がつくられた。しかし、必要なテント数は330万張りで、手持ちのテントではこの膨大な需要を満たすことはまったくできない。そこで中央政府は1カ月以内に90万張りのテントを被災地に送るよう要求した。5月22日、胡錦濤総書記は自ら、テント生産企業が比較的集中している浙江省を視察し、テントの生産と輸送を加速するよう求めた。
浙江、江蘇、福建など全国各地で、テントは昼夜兼行で生産されている。と同時に、英国、米国、サウジアラビア、日本などから援助の手が差し伸べられ、テントが届いた。
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5月26日、安県の避難所に運ばれてきた救援物質を整然と車から降ろす被災者たち |
5月29日、安県の避難所で列に並んで食事の支給を待つ被災者たち。35人の料理人が被災者のために食事を作った。被災者の大部分は、大きな被害を受けた安県茶坪郷と北川県の山間部の村の人々 |
また被災地への商品の供給を確保するため、商務部は被災者が集中して収容されている場所や人々が比較的まとまって住んでいる郷や村に2000カ所の「被災地テント商店」を建設することを決めた。さらに「テント銀行」や「テント郵便局」も相次いで誕生した。
それとともに中央政府は特別資金を拠出し、8月10日までに被災地に150万の仮設住宅を建設することを決めた。
そして「一つの省や直轄市が一つの被災した県を助ける」という原則に基づいて、北京、上海、湖南、江蘇、広東、浙江など21の省や直轄市が、四川省の被災地に対し支援を行なっている。
6月8日、一地方の地震災害の復旧・復興に対する中国で初めての条例である『汶川地震災害後の復旧・再建条例』が正式に施行された。『条例』は、過渡期の収容方式や方法、収容地点の選定、施設の建設、資金や物資の分配や使用などについて明確に規定し、学校や病院などの公共施設の耐震について「特別な要求」を出し、復旧・再建に税収の優遇をすると規定している。
国は救援に力を入れているが、同時に多くの被災者たちは故郷に戻って家を再建し始めている。
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