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四川汶川大地震 大災害の後、何が起こったか

 

地震を前に成長する「80後」

 

「80後」とは、1980年代生まれの若者を指す。彼らのほとんどは一人っ子であり、社会の寵愛を受けて育った。その一方、「自己中心」「享楽主義」と、いつも非難の対象となっている。

 

5月15日、北川県の被災者が避難している綿陽市の九洲体育館の前で、救援衣料を順々に手渡して送る若いボランティアたち 5月25日、避難所のゴミを集めてまわるボランティアたち


 

しかし四川汶川大地震の発生後、「80後」のイメージは一転した。彼らは社会的責任感や人道主義の精神にあふれ、救援活動に積極的に取り組んだ。負傷者の救助、物資の運搬、心理カウンセリング、協力の呼びかけなど、活発に駆け回った。「80後」は震災の救援や再建活動に力を尽くすなかで、大きく成長しつつある。

 

大学卒業を間近に控えた龔北寧さん(22歳)は、親からもらった起業資金20万元をはたいて、救援隊に車を一台寄付した。「国家の危難に際し、金儲けは後回しです」と話す。

 

著名な「80後」作家の韓寒さんは、地震発生の翌日には被災地へ向った。そして自ら進んで救援物資を輸送すると同時に、毎日ブログで被災地の様子を伝えた。

 

被災地で活躍していた「725」というボランティアチームは、各地からやってきた「80後」世代の十数人からできていた。被災地に向う列車の中で知り合ったため、列車番号をチーム名にしたのだ。毎日の仕事は、遺体処理の手伝いだった。

 

被災地で活動していた1000近くのボランティアチームのメンバーは、ほとんどが「80後」だった。

 

5月27日、ユニセフのスタッフが成都市にある西南財経大学にやってきて、被災地の子供たちと遊んだ 5月28日、山東省立病院の転院してきた被災児を慰める山東医学高等専門学校の学生ボランティアたち


 

救助部隊の兵士のなかでも、「80後」は重要な一部だった。救助の命令を受けた時、悲惨な状況を目の当たりにして耐えられるかと不安にかられた兵士も少なくなかったが、実際に現場に着くと、若い兵士たちは勇敢かつ強靭に救助にあたった。

 

兵士の1人の王斐さんは過労で倒れたが、現場から引き上げてしばらく休めという命令を聞いて、「隊長、私は大丈夫です。もう少しここにいさせてください」と泣きながら頼んだ。

 

ある大人気のBBSには「被災者を哀悼するのと同時に、私たち『80後』世代はぜいたくを控える運動を起こそう」という意見が書き込まれ、たくさんのネットユーザーがこれを支持した。

 

この意見を書き込んだのは「魏満意」さん。彼は週末になると娯楽施設でお金を消費していた。しかし「地震で家を失った子どもたちや倒壊した家屋を見て、これまでの自分はむだ遣いをしすぎだったと反省しています」と言う。

 

「80後」にとって、四川汶川大地震は精神的な洗礼であったと言える。(張春侠 王浩=文)0807

 

人民中国インターネット版 2008年7月

 

 

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