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四川汶川大地震 大災害の後、何が起こったか

 

子どもたちに希望が戻る

 

6月1日は「国際児童の日」。中国では、小学校や幼稚園は休みになり、子どもたちを対象としたさまざまなイベントが催される。今年の6月1日、被災地の子どもたちの多くは、テントのなかでこの日を過ごした。

 

5月27日、青川県の被災地に大きな「テント学校」が設立された。市街区のいくつかの小学校が合併したもので、テント30張りを用い、30クラスを設置。まずは4年生から6年生の児童500人の授業が再開された 5月28日、綿竹市の避難所で卓球を楽しむ子供たち


 

綿陽市の九洲「テント学校」の教室では、小学生たちがゲームをし、楽しそうに笑い声をあげた。

 

音楽が流れるなか、「愛」と書かれた紙が子どもたちの手から手へとわたる。音楽がとまったとき、「愛」の字を手にしていたのは、北川五星小学校5年生の陳蘭さんだった。

 

陳さんはうれしそうにステージに駆け上がり、「『希望』という言葉を使って文章を作ります。『我希望将来成為一名医生!(私は将来お医者さんになりたいです)』」と言った。

 

この「テント学校」の子どもの多くが、医者になることを夢見ている。地震の苦難を経験した彼らの心には、負傷者を献身的に救助した医師たちの姿が深く刻まれているのだ。

 

九洲「テント学校」は5月22日に設立された。主に北川県など被害が深刻だった被災地から900人あまりの小中学生がやって来て、ここで学んでいる。机や教具、子どもたちのカバンや文具などはすべて各地から寄付されたものだ。

 

地震発生後、被災地の小中学生や高校生は勉強が続けられなくなった。被災地の復興作業の開始とともに、授業の再開が当面の急務となった。

 

5月19日、北川中学(日本の中学校と高校に相当)の高校3年生の授業が、綿陽市の長虹育成訓練センターでまっさきに始まった。大学受験が間近に迫っているからだ。

 

5月29日、安県の避難所に設置された「テント学校」では、命国からやってきたボランティアたちが子供たちに英語を教えた。彼らの楽しい教え方に笑い声が絶えなかった 5月31日、テントの外で行われた高校3年生の補習授業。大学受験が近いため、被災地でも補習授業が盛んに行われた


 

そのあと、彭州市、安県、綿竹市などの被災地でも「テント学校」が次々に設立された。6月中旬までに、被災地の大部分の子どもが授業を受けられるようになっている。

 

臨時の学校は国語、数学、体育、心理健康などの授業を行っている。九洲「テント学校」の姜建橋・副校長は「いま一番大切なことは、子どもたちが震災の暗い影から抜け出すのを助け、彼らに明るい未来を見せ、命の大切さを教えることです」と話す。

 

「テント学校」の授業にはゲームや相互交流の内容をふんだんに加え、子どもたちの心をケアし、生きる力を強めようとしている。全国各地からやってきたボランティアや心理学の専門家も加わり、子どもたちといっしょに遊んだり勉強したりしている。

 

大地震はまた、多くの子どもたちから親を奪った。

 

6月3日、中国民政部と四川省政府は被災孤児の救助・収容方法に関する規定を制定した。それによると、孤児の意見を十分に尊重したうえで、親族が後見人となる、別の家庭が引き取って育てる、孤児たちを集めて養育するなどの7つの方法によって孤児を助けることになった。

 

四川省の民政庁に設置されている地震離散孤児引き取りホットラインには、平均して1分間に1本の電話がかかってくる。地震発生から十数日で、孤児を引き取りたいと申し出た人は20000人以上にのぼった。

 

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