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現在位置: 2010年 上海万博推介

上海の都市建設 現在と未来

 

孫玲=文

「四大機能エリア」構想

外灘であれ、郊外区の松江ニュータウンであれ、そこに住む市民は、この10年間の上海の大きな変化を感じざるをえないだろう。都市化の波は次々と郊外区に及び、同時に市街中心区では国際的な大都市を目指して再開発・整備が行われるとともに、旧市街でも改造が進んで、上海市は新しい都市の姿に大きく変わろうとしている。

2001年、上海市総合都市計画が国家の承認を得ると、上海市では、上海を国際的な経済、金融、貿易、物流の中心にするための都市総合計画が、さっそく実行に移された。ほぼ同じ時期に、2010年に上海で万博が開かれることが決まると、上海の都市建設にはいっそうの拍車がかかることになる。万博の誘致に成功したことが、発展のテンポをいっそう速めることになったのである。

具体的な建設計画としては、全市を機能によって四つの大きなエリアに分けて建設を進める「四大機能エリア」構想が挙げられる。この構想は国の第11次5カ年規画(2006~2010年)の期間に実現するもので、都市計画の要にあたる。

浦東の南匯地区には国際的な金融センターを建設し、あわせて浦東国際空港を中心に国際的な物流の中心拠点にする。

市街中心区は上海の繁栄を代表する歴史的特色を持つ地区として、国際的な大都市における現代的サービス業の機能を12分に発揮させ、サービス業が全面的に発展した重要区域にする。

郊外区は上海経済の実力を支える重要な区域で、都市と農村のバランスの取れた発展を進め、現代的な大都市近郊農業を確立するとともに、先進的な製造業基地としての役割も担う。

崇明・長興・横沙の三島地区は上海の持続可能な発展のための「戦略空間」として、自然保護と環境保全を中心に人と自然が調和した現代的なエコ建設を進める。

中国科学院アカデミー会員で同済大学建築と都市空間研究所所長の鄭時齢教授は早くも2002年に次のように述べていた。「浦東の開発と対外開放、上海郊外区の発展と2010年の万博開催は上海の未来の発展に大きな影響を及ぼす最重要の要素である」

大きく変わる市街中心区

黄浦江両岸はずっと上海の市街中心区の重点発展地区だった。有名な外灘は黄浦江に沿って上流と下流に伸び広がり、商業やサービス業が集中し、埠頭を中心に物流関係の企業がオフィスを設け、また住みやすく便利な住宅区や歴史文化区としての整備が進められた。

3本の地下鉄によって中心区の北部とつながり、2本のトンネルによって対岸の浦東地区と結ばれた。公共緑地が増やされ、歴史景観を保持しながら、新旧が融合する都市景観がつくられつつある。黄浦江に臨む地区には造船所をはじめとする「旧上海」の工業を代表する工場地帯が広がっていたが、産業構造の転換にともなって工場は移転し、跡地にはレジャー関連施設やクリエーティブ産業基地が出現している。

市街中心区の西南に位置する徐家匯の変化にも目を見張るものがある。10年前、この一帯は小さな店がひしめく旧態依然の「商業・サービス業地区」だったが、今日、公共交通の集散点としての役割と「副中心」としての機能を合わせ持つ、文化、体育、商業の一大センターに変わった。この10年来の発展を踏まえ、徐家匯はさらに「世界レベルの大都市副中心」を目指す意欲的な計画を打ち出している。商業圏をいっそう広げ、シネコンやスポーツセンター、大規模なショッピングモールやバイオ医学開発施設、科学技術研究機構などが集中するとともに、徐家匯天主堂や光啓公園などの観光スポットをより生かし、歴史風景地区として観光客を呼び寄せる計画が着々と実行に移されているのである。

現代的な再開発が急ピッチで進む市街中心区(CFP) 市街中心区の黄浦江岸には公共スペースが多く設けられるようになった(東方IC)

新天地がモデルケースに

特殊な地理的・歴史的要因によって、上海には西洋の文化と中国の伝統文化、また中国各地の地方文化が混在し、共生している。それは上海に特有の多元性と彩り豊かな特徴をもたらし、この地の魅力をいっそう高めているのである。

上海には19世紀末から20世紀の30年代にかけて建てられた「里弄(露地)」にある集合住宅や一戸建ての庭付き洋館が敷地面積にして2300万平方メートル近く存在した。

それらは、中国と西洋の建築様式と生活様式が合体したものであり、相互交流の典型ともいえよう。どうしたらこの歴史遺産を保護しながら、住民の生活の向上と地域の発展をはかるかは上海が都市建設上で抱える一つの重大問題でもあるのである。

新天地は、この面での成功例と言ってもいいだろう。総合的な地域開発計画を基に、一帯は昔からの景観を破壊することなく、新旧の建物が調和する形で新しい名所としてよみがえったのだ。商業価値と文化価値を合わせ備えた街の通りには、今日、観光客の人波が絶えることがない。外国人には中国情緒が感じられ、中国人には西洋の雰囲気が伝わり、老人には懐かしい場所であり、若者にはファッショナブルなスポット、それが今日の新天地なのである。

新天地の成功は、旧市街地を改造する上で一つのモデルを提供した。思い出のこもった旧宅で、新しく建てられたマンションと同じような現代的な暮らしができるというパターンは、都市の再開発はどうあるべきかを考えるとき、多くの示唆を与えてくれる。

郊外ニュータウンの誕生

上海市全体の都市計画はよく「1966体系」と呼ばれる。一つの中心市街区、9つのニュータウン、60の町、600の村で新上海市は構成される、との意味である。中心市街区の国際都市化に見合ったニュータウンと新しい町村を近郊につくり、中心市街区の人口を分散させ過密を緩和することと、農村部の農業人口を町村に引き入れて、徐々に自然村を吸収合併し、調和の取れた近郊人口体系がつくられつつある。10年の計画実施を通じて、2010年には初歩的に整った市町村体系の枠組みが完成し、郊外区の都市化率は75%にまで上がった。

ニュータウンの建設を市西南部の松江区にある松江ニュータウンに見てみよう。1999年末、松江区人民政府は3平方キロの土地を無償で4つの大学に提供することを決め、2005年には、この4大学を含む7つの大学が松江区の「大学地区」に移転してきた。地区の総面積は5.47平方キロに及ぶ。また4つの不動産関連の持ち株会社を経営して、区が直接土地市場を運営し、土地使用権をかなう限り高く売ることで、インフラ整備や公共施設建設、環境保護などの面で必要な資金を作り出した。

ニュータウンは「二つの顔」を持っている。上海―杭州高速道路を境に、南は「千年の古い町並み」を生かした民族情緒に富む総合的な商業文化地区であり、北はまったく新しく建設された新区で、1平方キロのイギリス風「テムズタウン」も出現した。元の農地を所有していた農民の保障にあたっては、「農民は都市に、工場は産業パークに、耕地は農場に集約」の方針に従い、農民を都市住民に繰り入れ、ニュータウンに立ち退き農民のための居住区を設け、また就業のための職業訓練の機会を組織的につくる努力を惜しまなかった。このため農民の間では立ち退きに際して何のトラブルも起きていない。

新しい目標に向かって

総合計画に基づくこの10年来の上海の発展は「奇跡」と表現されるほどのスピードを誇った。同時に、急激な都市化はエネルギーの大々的な消費と環境への負荷という大きな問題ももたらしたのである。都市の発展を考える場合、そこで生活する住民の必要から出発しなければならない。都市住民により良い生活と仕事、交通の条件を提供できてはじめて、都市はその機能を果たすことができるのである。

同済大学建築と都市計画学院の張松教授は記者の質問に次のように答えてくれた。「過去の10年間、我々はずっと発達した科学技術を利用してインフラ建設を急ぎましたし、市場原理に任せた結果、都市の規模はみるみる大きくなってしまいました。これからは、土地の開発、農民の農地からの立ち退き、都市と農村の境界といったことでは、しっかりしたコントロールが必要です。持続可能な発展の都市という観点からすれば、まずは都市に住む住民の要求から多くのことを考え、決めていかなければなりません。生活の質を改善し、環境保全に努め、家屋の質も高めて、都市が全体として住民にとって快適で住みやすい空間になるようにしなければならないのです」

張教授はまた「国外では都市の再開発を『旧市街の改造』とは言わず、『旧市街の復興』と言っています。そこに住む市民が何を求めているのか、その生活条件の改善をもっと重視して再開発が進められなければなりません。立ち退きや取り壊しはできる限り少なくして、今ある建物を残しながら、内部の生活空間をより住みよく快適なものにすることに資金を投入すべきです」とも語り、最後に次のように述べて話を結んだ。

「近年来の発展を通じて、我々は多くの富と知恵を蓄積しました。今こそ、転換のチャンスです。2010年上海万博の開催は上海市民に新しい生活様式とはどんなものなのか、新しい生活の質とはどんなものなのかを教えてくれました。さらに、未来の理想に向かって追求を続けることの必要性と、上海が新しい都市として生まれ変わることの必然性も教えています。新しい目標に向かって前進しなければなりません」

 

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