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若者の目がとらえた上海の変化

--座談会「中日の大学生が見た上海万博」

 

王衆一=司会 岡田紘幸=整理 写真masato

王衆一執行編集長

上海万博では「小白菜」と呼ばれる会場ボランティア学生の活躍が大きな話題になった。それでは、会場ボランティア以外の学生は万博をどのようにとらえ、万博会期中の上海でどのような学生生活を送り、街の変化をどう見てきたのか。万博を機に上海留学をはたした日本人、高校時代から上海で暮らす日本人、上海人学生ら5人の立場の異なる大学生が万博会場に集い、王衆一・本誌執行編集長の司会で、上海の今と未来、自身の将来への思いなどを熱く語った。

座談会参加メンバー(発言順)

浜田あゆみ(復旦大学4年)

小井土敦(上海大学に語学留学)

栗山直也(上海外国語大学に交換留学)

金穎(上海外国語大学3年)

高橋達彦(上海財経大学3年)

街が変われば人も変っていく

 上海で大学生として学ぶ若い皆さんは、万博をどうとらえ、どんな思いを寄せていらっしゃいますか。

浜田 日本で高校1年まで過ごし、父の転勤で2年生の時に上海の高校に転校して7年になりますが、この間、上海の街は大きく変わりました。万博に関しては、会期中の来場者数新記録が注目されていますが、より以上に中国人のマナーが改善されてきたのはほんとうに素晴らしいこと。特に地下鉄やバス内でのマナーが向上したことに感心します。また、万博会場内の学生ボランティア「小白菜」の活躍などを通じて、世界中の若い人たちにも上海万博をアピールすることができたのではないでしょうか。

小井土 日本の大学を卒業後、5年ほどの社会人生活を経て、ビジネスに関心があったこともあり、海外に出てみよう、と今春、万博開催地の上海へ来ました。世界経済の最先端である場所に興味を抱いたからです。市街地と郊外の農村の生活や景色のギャップも、上海の魅力です。万博を通じて何が変わったか。昨年冬に来た時と比べても、人々のマナーは格段によくなっていますね

栗山 暮らしていて、上海は面白いです。前回の万博が行われた愛知県にある大学の中国学部に通いながら、中国で長期留学する機会をねらっていました。2年次は天津の大学に短期留学。4年次に願いかなって、上海で1年間の留学をすることになりました。万博が開かれるのも、上海を望んだ理由のひとつです。そして縁あって、7月下旬から8月中旬にかけて行われた万博会場案内の日本人ボランティア活動では、現場サポート側で、その後半の2週間を担当しました。真夏の炎天下、中国側と日本人ボランティアとの間の通訳や調整など、日々課題が多く必死でしたね。しかし、その体験から、中国のイメージが変わりました。宿舎や食事への細かい配慮など、中国側ボランティア実行委員会の心こもる配慮にはほんとうに感動しました。

 日本語学科に通っています。上海人として、この街が大好きです。とても魅力的な都市ですものね。万博とのかかわりでは、日本館イベントステージで開催された『孫文と梅屋庄吉展』の学生ボランティア活動に参加して、とてもいい経験になりました。

浜田あゆみ 小井土敦 栗山直也 金穎 高橋達彦
復旦大学4年 上海大学に語学留学 上海外国語大学に交換留学 上海外国語大学3年 上海財経大学3年

積極的に活躍した学生たち

 他にもどなたか万博会場でのイベントに携わった人はいますか。

浜田 万博会場内で日本人が行うイベントのサポートをしました。5月4日には知人の紹介で、アートディレクターの水谷孝次さん主催で行われた『MERRY PROJECT(メリープロジェクト)』の学生サポート代表を務めました。傘を用いて「笑顔の花を咲かせよう」と、一週間で百人の学生を集めて中国館前などでパフォーマンスを行い、大変でしたが、充実感はありましたね。

高橋 中学2年の13歳で単身上海に渡った僕は、現地校で学び、大学に進学しましたので、上海滞在歴六年です。8月24日から29日まで日本館のイベントステージで行われた『孫文と梅屋庄吉展』ではボランティア学生スタッフとして働きました。この話を聞いた時、地方自治体のイベントが多い中、すごく意義深く感じ興味を覚えました。日本を通じて世界を知った孫文、孫文と梅屋の終生の友情……。人と人とのきずなが薄れる今の社会に暮らす僕たちだからこそ胸を打たれるのでしょう。インターネットなどない時代に、面と向かって語り合い、深め合った友情に感動します。

 『孫文と梅屋庄吉展』ではオープニングセレモニーのメディア受付も担当しました。周囲のスタッフのやる気を感じました。一番勉強になったのは、期間中6日間の朝から晩までの仕事の中で、決してくじけないという意志がきたえられたこと、そして笑顔を忘れないことです。

 中日の人的交流の機会は増える一方ですね。若者たちの中からぜひ、新しい時代の梅屋庄吉や孫文が生まれるよう、また経済や文化の交流で新しい架け橋になってほしいと願っています。

上海の歴史と万博の関係は

 歴史の話がテーマにあがりました。上海の歴史について、万博との関係の中でどう思いますか。

 国際博覧会事務局はなぜ、2010年に上海を選んだのか。他の都市や地域に比べて、この都市の特長に魅力があったからだと思います。

高橋 上海の大きな変化の歴史は、アヘン戦争後の1842年に結ばれた『南京条約』の結果、開港してから始まります。これを契機に、イギリスやフランスなど海外の国々の租界が形成され、そうした歴史の上に今日の目覚ましい発展があると思います。海外の力を引き込む都市、他の都市とは異なる文化を持つ上海は、たしかに魅力的ですよね。

小井土 今回の万博の成功は、上海に外国人を受け入れる準備ができていたことを雄弁に語っています。中国と外国の文化交流をいっそう深めるために、今回、上海で必然的に万博が開催されたと思われてなりません。

 今日上海は世界有数の国際都市ですが、歴史的に見れば、昨年2009年に横浜で開催された記念イベント「Y150」(横浜開国・開港150周年)にあるとおり、150年前が日本の近代化の始まりで、上海も1842年の開港によって、世界に開かれました。上海は中国の夜明けの町と言ってもいいでしょう。工業化を進めて発展を遂げ、今は国際的な経済・金融都市として確固とした地位を占めていますが、歴史的な感覚のある街だと感じます。「アジアのルネサンス期」に活躍した孫文や梅屋庄吉が上海万博を目にしたら、どれだけうれしいことでしょう。その意味でも、『孫文と梅屋庄吉展』は時宜を得た素晴らしい展示会でしたね。

栗山 なるほど。中国の政治や歴史といえば、北京中心のイメージが強かったのですが、別の見方もできますね。勉強になります。

学生一押しの万博見どころ

 特に印象に残ったパビリオンやイベントなどがありますか。

浜田 アートに興味があるので、フランス館ですね。また広告業界に関心があるため、映像で影響や感動を与えられる仕事にあこがれます。それとエルメスの店員の制服など、その見せ方には圧倒されました。

高橋 大阪生まれなので、7月28日に大阪館前の広場で行われた「なにわの日」イベントの盆踊りです。そのために和服や浴衣を用意する人もいて、約2000人が踊りの輪に加わり、中国人は大阪人から踊りを教わるなど、和気あいあいとして楽しかったです。

小井土 世界の小さな国の展示が記憶に残ります。例えばアフリカ連合館など。普段は着目されない小さな国々ががんばっていたのが印象的。その連合館隣のレストランにあるダチョウの肉もおいしかったですよ。他には万博開催によって注目された、列を作って並んで待つ中国人の姿は、現場で何度見ても驚きです。

栗山 日本産業館ですね。映像がとてもよかったです、日本を見直しました。上海で新たな日本の魅力を発見することができて、感謝しています。あとは、中国館の映像の完成度には感激しました。

 今回の万博の特長として、中国館はもちろんのこと、どのパビリオンもしっかり準備してきた点が挙げられます。中身が充実し、ユニークな展示が多かったように感じます。特にアジアゾーン全体が素晴らしい。日本館の最先端近未来技術やトキの舞台劇、スタッフの心こもる応対などは、友好の気持ちが表れたものでしたね。

中国で暮らす学生のこれから

 浜田さんは中国の大学でなぜ英語を学ぼうと思ったのですか。

浜田 上海での高校受験時、インターナショナルスクールに通う希望がかなわず、頭を切り替えて中国語をマスターすることにしました。現地校で2年間学びましたが、そこで先生と生徒の関係の日本との違い、上海の町の国際化の様子などを感じ、大学で英語を学ぼうと決めたのです。上海にある大半の大学の授業を受けて回りましたが、英語系が充実している復旦大に決めました。大学へ行く以上はしっかり学ばなければなりません。高校の時に現地校に通い毎日中国語を学んだことが、今の自信につながっています。

 皆さんは中国で学ぶことで世界を見る目が変わりましたか。また万博のテーマ「ベターシティ、ベターライフ」は、閉幕後に何を残すと思いますか。

栗山 日本人ボランティアをサポートした経験の感動は強く、万博でとてもいいチャンスに恵まれました。留学を終えて帰国してからも、草の根活動を続けていきたいと思います。次の日中交流を担う世代なので、今後も積極的に中国と関わりを持ちたいと思っています。

 万博で気持ちが変化しました。万博でのボランティア活動経験を踏まえて、今後も頑張っていきたいです。今は中日学生交流団体「Free Bird」に所属しています。今年の夏にも上海市内で、中国人と日本人の学生を集めてイベントを開きました。私にできることで、これからもよりよい中日関係を築くために働きたいと思います。

高橋 約6年間の上海生活で、中国人の考え方や思いをたくさん聞いてきました。その中には、日本に対する誤解や偏見も少なからずあります。それは中国に限らず世界中どの国でも同じこと。僕はそんな価値観、文化、宗教などを超えたコミュニティーづくりを考えています。一方的なメディア情報にたよるのではなく、世界の人々に直接、僕たちが情報を発信できるようにならなければなりません。

浜田 私の通う復旦大は、世界中の若者が多く集まる大学。高校時は「私は日本人だ」という感覚で過ごしていたのですが、大学では世界の中の一人の人間として見られ、「私は何者なのか」が問われる場だと、感じさせられました。万博の開催はとてもいい機会で、たとえば世界中の食文化を味わえたり、世界最先端の技術を実感できたりしましたが、今後の中国のみならず、世界にとっても大きな意義をあったのではないかと思います。

 今日は前途有望な学生さんたちとお話しできて、私もたいへん勉強になりました。皆さんの学業が大きな成果を上げるよう願っています。

 

人民中国インターネット版 2010年11月3日

 

 

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