People's China
現在位置: サイト特集中日国交正常化40周年特別企画中日友好の絆

ここがすごいぞ!長崎の中にある中国

 

ストーリー 孫文の革命を支えた長崎人たち

孫文と梅屋庄吉夫婦の銅像

「中国革命の父」と称される孫文は長崎県と深い縁がある。孫文は長崎を九回訪れ、長崎生まれの梅屋庄吉と生涯、親しく付き合った。梅屋は私財を投じて孫文の革命事業を支援し、夫人トクとともに、孫文と宋慶齢の結婚も助けた。孫文の号である「中山」の名をつけた「中山艦」も、長崎市の三菱造船所で建造された。

長崎市油屋町には、1902年に福島県二本松出身の鈴木天眼が創立した「東洋日の出新聞社」があった。辛亥革命が勃発した後、「姿三四郎」のモデルと言われる西郷四郎が鈴木の指示を受け、現地に赴き、孫文らの活動を積極的に報道した。

「恩送り」の心でつくられる「長崎ちゃんぽん」

「四海楼」四代目の社長・陳優継さん
太めの麺、熱々で濃厚なスープ、たっぷりと入ったイカやエビ、器からあふれんばかりのキャベツやモヤシ――これが「長崎ちゃんぽん」だ。

「ちゃんぽん」の発祥の店は、長崎市内の「四海楼」。四代目の社長、陳優継さんの曽祖父の陳平順さんが1892年、中国・福建省から長崎に来て、当地の華僑の支援を受けながら裸一貫でスタートし、7年後には「四海楼」を開業した。その後、生活が苦しい華僑や留学生のひどい食生活を見るに見兼ねて、福建料理をベースに、安くて、ボリュームがあり、栄養たっぷりの「ちゃんぽん」を考案した。

今や「ちゃんぽん」は日本全国に普及し、絶えず改良され、種類も豊かになった。しかし「四海楼」は初代の思いを後世に伝えるため、昔ながらの味を今も提供している。

昨年3月の東日本大震災の3週間後、陳さんら14人は、被災地の人々に温かい「ちゃんぽん」を食べてもらうため、具材や麺をトラックに積み込み、長崎を出発。約27時間かけて、宮城県気仙沼市に行き、避難所で約800食をふるまった。

「『ちゃんぽん』を食べた被災者の笑顔が忘れられない。『ちゃんぽん』には、自分が受けた恩を別の人に送る『恩送り』の精神が込められている。先祖が考案した『ちゃんぽん』は私が受けた恩。これを多くの人に食べてもらい、喜んでもらうのが、私にとっての『恩送り』です」と陳社長は言っている。

 

人民中国インターネット版 2012年7月

 

 

   <   1   2  

同コラムの最新記事
中国―日本 友好の絆⑤ ながさき
中村法道・長崎県知事インタビュー 長崎は「西」に向かって発展する
ここがすごいぞ!長崎の中にある中国
中国――日本 友好の絆④ 浙江
中国―日本 友好の絆③ しずおか