中国―日本 友好の絆⑤ ながさき
文・写真=東京支局
中華街と言えば横浜や神戸が有名だ。しかし実は、長崎は、横浜や神戸よりずっと前に、多くの中国人が住みついた都市なのだ。さらに長崎と中国との交流の歴史は、『魏志倭人伝』や遣隋使、遣唐使の時代にまでさかのぼる。
約400年前の江戸時代初期、鎖国政策の下で出島が唯一の開港地だった長崎に、多くの中国人が渡ってきた。日本最古の中華街ができ、中国の高僧が開いた崇福寺が建てられた。いまも中国文化が長崎の街のあちこちに融けこんでいる。
さらに近代。ここは、孫文がたびたび訪れ、梅屋庄吉が彼の革命運動を支えた。そして今、長崎―上海を結ぶ海上航路が復活した。また、今年は長崎県と福建省との姉妹提携30周年でもある。
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人民中国インターネット版 2012年7月