創新のシンボル──高速鉄道
(財)国際貿易投資研究所(ITI) チーフエコノミスト 江原規由
中国史をひもとくと、遠路はるばるとした道のりを踏破し大きな業績を残した偉人が少なくありません。古代中央アジアの大宛などに使いした張騫(漢)、60歳を過ぎてから経典を求めて天竺(インドの古称)に渡った法顕(東晋)、中国最大の歴史家である司馬遷(漢)、権力を誇示するため地方を巡幸した秦の始皇帝、『西遊記』で有名な玄奘(唐)、『東方見聞録』を著し西洋に中国の生き生きとした姿を紹介したマルコ・ポーロ(元)、そして、永楽帝の命を受け、西洋の大航海時代に先駆けること一世紀前、大商船団を率いてアフリカまで巡航した鄭和(明)、19世紀末中央アジアを走破し楼蘭の発掘調査をした大探検家のヘディン(スウェーデン人)などなど。その彼らが、現代によみがえったとしたら、急激にスピード化が進む今の中国をどう思うでしょうか。
異彩放つ「京滬高鉄」
6月30日、「京滬高鉄」、つまり北京―上海間の高速鉄道(新幹線に相当)が営業運転を開始しました。滬は上海の別称です。中国の高速鉄道は、すでに、全国各地を走っており、京滬高鉄線が、中国の高速鉄道史上最初というわけではありませんが、ほかの高速鉄道と比べ、明らかに内外の注目度が異なります。京滬高鉄が運ぶのは乗客だけでなく、中国の技術、文化、そして、ビジネスモデルの粋でもあるという点で異彩を放っています。
30日の北京発の一番列車の「和諧号」(中国の高鉄車両の正式呼称、和諧=調和)は、15時に北京南駅を発車し、走行距離1318㌔を走り、20時9分に上海虹橋駅に到着しました。その走行時間5時間9分(最短時間4時間48分)に込められているものは何だったのでしょうか。
中国モデルの高鉄
中国初の高速鉄道は、北京五輪のあった2008年に北京-天津間で開通しています。フランス、日本、カナダ、ドイツなどからそのままの技術を導入しました。しかし、京滬高鉄の車両は、中国がこれらの技術を研究した上で独自開発(中国創新)したものであるといわれます。米国、欧州など五カ国・地域に技術特許を申請する予定ですが、これには日本などから、知的所有権の侵害ではないか、との声もあります。こうした問題は、いずれ決着がつくと思われますが、十年足らずで、高速鉄道の最先端車両を、中国の言葉を借りれば「独自に製造する」までになった中国の技術水準の向上には、昨年、世界第二位の経済大国になった改革開放のやり方が踏襲されていることは間違いないでしょう。すなわち、改革開放政策の名の下で、積極的な外資導入を通じて生産技術を学び、独自な技術を創造していく、というやり方です。これを「中国モデル」とする識者もいますが、改革開放政策が中国および世界経済の発展に貢献したのは確かでしょう。果たして、京滬高鉄は内外に何をもたらすのでしょうか。
サービスの新モデルに
京滬高鉄での注目点は少なくありません。例えば、高速鉄道の「高」とお嬢さんの意味を持つ「小姐」の「姐」を組み合わせた「高姐」と呼ばれる女性乗務員(アテンダント)は五つのサービス、つまりスマイル(smile)、スピード(speed)、スタンダード(standard)、シンシアー(sincere)、サティスファイ (satisfy)という「五S」を遵守するほか、ビジネスクラスでは、「空姐」(エアーアテンダント)以上のサービスを提供するということです。彼女らは、百倍以上の競争を勝ち抜いた精鋭集団といってよく、身長165㌢以上で学歴は大卒水準以上、英語が話せ、条件にあった美しさを兼備しているとのことです。中国が世界最先端技術として売り出す高速鉄道車両と同様、サービスでも世界最高水準となるか、中国的サービスの評価が「高姐」の一挙手一投足にかかっているといっても過言ではないでしょう。
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京滬高鉄線を走る和諧号(新華社) |
京滬高鉄の貴賓(VIP)待合室では無料インターネット接続や専用の自動改札通路など「五S」が提供されることになっています。同時に、乗客が身分証明書(IDカード)を使って直接駅構内に入れるシステムが、京滬高鉄で初めて採用されました。
また、乗車券と身分証の名前が一致せず、身分証不携行の場合は、再購入が求められるなど、航空券以上の厳しいチェック体制が採用されています。
京滬高鉄のもたらすもの
京滬高鉄の営業開始で、乗客を奪われる航空会社も新たなビジネスモデルの創新に余念がないようです。航空会社によれば、北京―上海間航空路線の乗客の20~30%程度が京滬高鉄に奪われるとのこと。そのため、航空チケットの値下げはいうに及ばず、長江デルタ地区での「空鉄聯運」(航空便と鉄道便の連携運輸)を模索中とのこと。これは、航空チケットを一枚買えば、飛行機を降りた後にそのまま鉄道に乗り換えることができるというもので、航空会社各社がこのサービスを打ち出す方針にあると報じられています。いずれにしても、利用者には大いに便利になることだけは確かでしょう。航空会社と京滬高鉄が、こうしてウインウインの効果を生むことができるかに注目したいところです。
航空チケットの値下がりが期待できる一方で、京滬高鉄の開通で値上がりが懸念される状況もあります。沿線地区の不動産価格です。例えば、京滬高鉄の五大始発駅の一つである山東省済南西駅近くに建設中のマンションの一平方㍍当たり価格は6400元とのことですが、二年前は同等の物件の一平方㍍当たり価格は4000元前後であったとのことです。
いずれにせよ、高速鉄道は停車駅周辺地域の開発や周辺住民の生活向上などプラス効果に期待がかかっています。この点、中国の環渤海経済圏と長江デルタ経済圏の二大経済圏(中国GDPの40%を占める)を結ぶ京滬高鉄にかかる期待には大きいものがあります。その沿線地域だけでなく、路線上の各駅から内陸につながることから、その経済効果は計り知れないでしょう。
世界に向けた事業展開
今後、中国の高速鉄道網は、さらに増設、新設され、例えば、北京から中国各地への時間的距離を大きく縮めていくことになるでしょう。その後は、中央アジアへ、ロシアへ、欧州へ、そして東南アジアへとその距離を国外に伸ばし、かつ海を越えて世界各地で中国モデル高速鉄道を建設しようとする意気込みが中国の鉄道界にはあります。2010年10月時点で、中国は17の国と「新東方特急」鉄道網の建設で協議中で、そのうち三線(東南アジア、中央アジア、欧州)(注)が国際高速鉄道の建設となっています。これが建設されれば、北京からロンドンまで48時間で着くことになります。
そうなれば、冒頭で紹介した歴史上の偉人たちのたどった道のりが高速鉄道で結ばれることになるわけです。その中心的位置にある京滬高鉄の運転開始で、中国は、インターネットに勝るとも劣らない高速鉄道網で新交通時代到来の幕を切って落とそうとしているともいえましょう。
「長征」という過酷な長く険しい道のりを徒歩で走破し、革命の根拠地延安にたどり着いた中国共産党の革命家たちによって中華人民共和国は築かれました。その党の誕生日は京滬高鉄が開通した翌日の七月一日でした。京滬高鉄は、「中国モデル」を国内外に運ぶという「現代の長征」的役割を担っているようです。
注 2010年12月、欧州以外で初めて開催された「第7回世界高速鉄道会議」(北京)で中国は、中国・ラオス・タイ三カ国を結ぶ高速鉄道(2011年建設開始、2015年完成)をはじめ、中央アジア、ロシア、東南アジアと結ぶ高速鉄道の建設を計画中と発表している。(新華ネット2011年1月17日)
1950年生まれ。1975年、東京外国語大学卒業、日本貿易振興会(ジェトロ)に入る。香港大学研修、日中経済協会、ジェトロ・バンコクセンター駐在などを経て、1993年、ジェトロ大連事務所を設立、初代所長に就任。1998年、大連市旅順名誉市民を授与される。ジェトロ北京センター所長、海外調査部主任調査研究員。2010年上海万博日本館館長を務めた。
(財)国際貿易投資研究所(ITI) チーフエコノミスト 江原規由 1950年生まれ。1975年、東京外国語大学卒業、日本貿易振興会(ジェトロ)に入る。香港大学研修、日中経済協会、ジェトロ・バンコクセンター駐在などを経て、1993年、ジェトロ大連事務所を設立、初代所長に就任。1998年、大連市旅順名誉市民を授与される。ジェトロ北京センター所長、海外調査部主任調査研究員。2010年上海万博日本館館長をを務めた。 |
人民中国インターネット版 2011年