江蘇省揚州市 伝承の古籍復刻技術 世界文化遺産に登録
写様 練磨に明け暮れる 書道の職人
木版印刷の工程は、写様、彫刻、印刷、装丁という四つのプロセスがある。写様とは、書道に長ずる人が原稿をごく薄い紙に書くことだ。
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写様をしている江蘇省無形文化財伝承者である芮名揚さん(左) |
揚州中国彫版印刷博物館の二階の書道実演の現場で、私は写様の大家である芮名揚さんにお会いした。彼が現場で書いた細字の楷書は十分引き締まっていて、美しさと古式ゆかしさが兼ね備わっている。芮さんは1955年生まれ、高卒後、1979年に広陵古籍刻印社に入り写様を専門にし、二十数年の間、彼の書いた漢字によって生み出された版木印刷の芸術品が多いため、芮さんは「江蘇省無形文化財伝承者」という称号を得た。
芮さんは幼いころから父親について書道を学んだ。父親は非常に厳しく「習字が立派な人間を作る」と説いた。天賦の才能と勤勉さで、芮さんは小学校時代から市や省の書道コンテストで常に入賞した。彼は多くの書家に面識を得て、書の技法でも大いに得るものがあった。芮さんが楷書で書いた「中堂(客間の中央の壁にかける掛け軸や書画)」は数十万の印刷数に達し、もう一つの楷書作品『治家格言』は海南省三亜市の自然景勝地に刻まれたほか、国連事務総長の事務室の壁にも彼の作品が飾られている。
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中国彫版印刷博物館所蔵の古書版木の一部 |
写様で、芮さんが最も得意とするのは小楷で、毎日約600字を書いている。十数種類の木版印刷の字体が書ける芮さんは、多くの古書版木を修繕した。木版印刷の常用字体は、唐代の書家顔真卿、柳公権、欧陽詢、趙孟頫、褚遂良及び宋徽宗の書体などがある。
芮さんの話は、彼の書いた小楷に似て、穏やかな上品さが感じられる。「書家と違い、写様は書道の職人です。書家の書いた字は個性が表われるのに対し、書道職人の字は彫刻しやすいように統一、完璧が求められます」。彼は紺地の紙に金粉でいま正に書いている『般若波羅蜜多心経』を指しながら、「一幅の経を書くのに数時間かかりますが、一気に書き上げなければならず、書き間違いも許されないため、根気がなくてはできません」と言った。
彫刻 三代目の彫刻 継承者――陳義時
書き終わった紙を裏返しに梨木版に貼り付けると、文字と画像が反転になる。これを「上様」と言う。彫刻は墨跡の部分を残し、余白を切り取り、突き出た「陽文反字」(浮き彫りにした反転の文字)となる。
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職人が泥活字を手作りしている |
机といす、木板、電気スタンド、彫刻刀、平ノミが、木版彫刻の大家である陳義時さんの道具のすべてだ。陳さんが本を彫刻する時、目は版木からわずか二十㌢。「木版に字を彫るには、目は版木に近ければ近いほど、彫刻刀がより正確で線がより流暢になります」。頭を下げ腰を曲げ、息をひそめ、精神を集中し、右手に彫刻刀を握り、左手で版木を押すという姿勢は、朝から晩まで、13歳の子どものころから六十四歳の年寄りになるまで続いた。そして見習いから国家レベルの無形文化財継承者になったのである。
陳義時さんは、1947年に江蘇省揚州市の有名な木版印刷の郷と言われる杭集鎮に生まれた。清の光緒年間(1875~1908年)に、祖父の陳開良さんが杭集鎮最大の職人30人以上を抱える文字彫刻工房を開いた。陳家は『四明叢書』や『揚州叢刻』など有名な古書を補修したことがある。1961年、揚州の古本屋が百人ほど集まり古書の修繕を始めたが、当時13歳の陳さんはそのときから父親の陳正春さんに木版彫刻を学び始めた。陳開良、陳正春から陳義時さんまで、祖父から孫までの三世代、一本の彫刻刀が代々伝えられてきた。
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活字印刷専用の木の框。植字のために、木の框の中には縦の線が設けられている |
陳正春さんは臨終直前に、8人の子どもの六番目の陳義時さんに「必ず祖先の技を伝えていくように」と何度も言いつけた。承諾を得るため、陳さんは自分の生涯を横、縦、左払い、右払いと刻み、娘の陳美琦さんを一時帰休させ、稼ぎのいい玉彫刻をやめさせて彫刻刀や平ノミを握らせた。
1982年から、陳さんは広陵古籍刻印社で専門に版の彫刻に従事、一日あたり60字、あるいは一、二カ月に図を一幅という具合である。こうして、『西廂記』や『唐詩三百首』『論語』などの古典が相次ぎ完成し、また六年をかけて、日本の仏教界のために『欠伸稿』と『通玄和尚語録』という二部の経書を彫った。四十数年来、累計で56万字と数百枚の図を彫った。
木版彫刻工芸の話になると、陳さんの話はとまらない。「木版彫刻の技は深いので、精一杯打ち込まないと、醍醐味を悟ることができません。例えば図の人物の眼差しを彫る場合、木目が横であればこれを切り取り、縦線に変えて改めて埋め込まなければなりません。こう刷ると目は非常に黒くて真に迫りますから」
退職後の陳さんは、実家の杭集鎮にある自宅に戻り、弟子三人の指導に没頭している。家族のため国のためにも、木版彫刻の技をぜひ伝えていきたいという。