People's China
現在位置: 中日交流中国と私 日本と私中国と私

中国へ誘った一枚のチラシ

文=小田玲実(こだ れみ)

大学二年の冬、ボランティアをしていた赤十字で何気なく目にした緑色のチラシが、私の人生を大きく変えました。それは日本青年代表として中国に行けるという内閣府青年国際交流事業のチラシでした。選ばれた私は2007年、日本青年代表団の一員として20日間にわたって中国を訪問しました。日本で見聞きしていた中国のイメージと自分の目と耳で確かめた現実との落差に大きなショックを受けて帰国しました。そして中国をもっと知りたいという思いから留学を決意し、大学卒業後すぐに単身北京に乗り込みました。

学内で勉強するだけの生活が苦手な私は、学外で農業や環境問題に取り組むために、「北京環境ボランティアネットワークBEV—NET」という日中友好環境NPOに参加しました。北京郊外の有機農場ツアーや環境シンポジウムを企画・運営し、中国の農業技術の発展と日本とのつながり、人口増加に伴う食糧やごみ処理の問題について学んだほか、内蒙古自治区の砂漠化地域での植林ツアーの同行スタッフなど大きな企画も行うことができました。

こうした活動のおかげで、母校の酪農学園大学で環境学を専門とされている先生とご縁ができ、大学で後輩に中国の環境問題についてお話をさせていただいたり、学生の海外ボランティア実習のコーディネートをさせていただいたりと、自分の学んできたことをアウトプットして、さらに研鑽していく多くの機会に恵まれました。

二年間の留学を終え、これまでの経験をもっと多くの人に伝えたいと思い、現在は高校で中国語の非常勤講師をしながら、酪農学園大学大学院の修士課程で国際環境情報教育を研究しています。

農学系の研究者を志していた私が突然中国語を学ぶと言ったときは、両親も友人もとても驚きました。しかし一念発起して飛び込んだ中国で、私は北海道にいては決してできなかった多くのことを経験し、さらに自分を知ることができました。大学の四年間で学んだ専門知識を無駄にすることなく、中国語や世界の環境問題について分かりやすく後の世代に伝えていくための研究を続け、今後もアウトプットしていければと考えています。

あのときあの緑色のチラシに心を奪われていなければ、私は北海道に閉じこもって世界を知らないままだったかもしれません。あのときからすべての道が今の私につながっています。これからも、そうした縁を大切にしていきたいと思います。

 今年5月、内蒙古自治区の砂漠で緑化のお手伝い、蒙古族の皆さんと記念撮影をする札幌出身の友人(右から2人目)と私(左端)

小田 玲実(こだ れみ) 1987年北海道生まれ。酪農学園大学酪農学部酪農学科卒。2009年から2年間北京の首都師範大学に留学。2011年4月より酪農学園大学大学院修士課程。高校中国語非常勤講師。北海道青年国際交流機構事務局。札幌市青年赤十字奉仕団救急法救急員。

 

人民中国インターネット版 2011年10月

 

同コラムの最新記事
「変わらない笑顔」に囲まれて
中国へ誘った一枚のチラシ
「中国」は教科書の一ページ
僕の人生を変えたハンセン病快復村
オペラ『遣唐使』をめぐって