古滇国の社会を活写 青銅器に残る人物像
■貯貝器に生活の断面
石寨山遺跡から出土した青銅器は40種余りに達する。中には祭礼器や武器、当時貨幣としていた貝殻を入れる貯貝器、楽器、生産道具、生活用品、装飾品などがある。そのうち、最も特色があるのは貯貝器や銅鼓、ベルトのアクセサリーと風変わりな武器だ。これらの青銅器に鋳造された各種の人物や動植物、花文様から滇国の生産、生活、祭祀、戦争などの社会現象をうかがい知ることができる。
2頭の牛と牛にかみ付いている虎をリアルに表現した戦国時代の青銅器(江川李家山24号墓から出土) |
当時、滇池一帯の気候は温暖、湿潤で、土地も肥沃で、草木が生い茂り、耕作や牧畜に適していた。当時の人々は農耕にも牧畜にも牛が不可欠だったらしく、貯貝器の蓋に牛が鋳造されているケースが多い。至るところで牛が飼われ、1、2頭から4、5頭飼育している人もいれば、中には7、8頭も所有している人がいたことが分かり、牛は富と好運のシンボルだと思われていたようだ。
「鎏金騎士放牧図」が描かれた貯貝器は鎮館の宝物だ。貯貝器の両側にはそれぞれ虎の耳が飾られ、蓋の上にはよく肥えたたくましい4頭の雄牛が鋳造され、角は長くて尖っている。中央には1人の騎士が馬に乗っている。馬は首を高くあげ、とりわけ勇ましく力強く見える。「おそらく、不意打ちしようと攀じ登ってきた猛虎に牛と馬が気づき、駿馬はいななき、尾を高くあげ、四頭の牛はすべての角を外側に向け、獰猛な虎を迎撃する構えをしているのでしょう」と、范氏が説明してくれた。「全身金メッキで、兜を被り、鎧をつけ、腰に剣を帯びた騎士は、一般の武士ではあり得ず、王侯貴族でしょうね。自ら馬に乗り、放牧にたずさわり、率先垂範して、民衆を励ましたのでしょう」
全身が金メッキの騎士が特徴の青銅製の貯貝器(石寨山10号墓から出土) |
狩猟は貯貝器の図案に、よく見かけるもう1つの題材だ。石寨山71号墓から出土した狩猟図には、全身金メッキの3人の滇国貴族が描かれ、2人は騎馬、1人は徒歩。長い矛を高く挙げ、2頭の猟犬を連れ、2頭のシカ、1匹のウサギ、1匹のキツネを追いかけている構図で、生き生きとして真に迫っている。特に馬とシカが飛ぶように疾走する姿は非常にリズム感に富んでいる。
滇国の女性は農耕や紡織、炊事に従事していた。不用になった銅鼓を改造した貯貝器の蓋に、当時の紡織の光景が再現されている。18人の人物の中で、傘をさしている男性のほかは、すべて女性だ。全身金メッキ、四角い座布団に座っている女性は、おそらく紡織工の主人だろう。彼女の監視の下で、地面に座っている女性たちは、布を持っていたり、糸をひねったり、布を織ったり、筬を持って仕事中で、中には完成品を検査しているらしい人もいる。小さいが、彫刻は非常に精巧で、辮髪や丸い髻、螺旋状の髻などの髪型もはっきり見分けられるほどだ。古代雲南の少数民族の髪型研究には貴重な実物の証拠だ。
現在、北京の中国国家博物館に出展されている「納貢貯貝器」は、当時の民衆が滇王に貢ぎ物を献上する場面が留められている。17人の献上者は7組に分けられ、各組の先頭に立ち、たぶん盛装して剣を帯びている人は、各民族の首長たちだろう。その後ろに続く人々は馬や牛を引っ張ったり、荷物を担ったり、かごを背負っている。専門家は彼らの服装と髪型の違いから、それぞれ違う民族の人だと推測している。
当時の滇国は、領土、奴隷、家畜、財産を争奪するために、周辺の昆明国や邛都国、夜郎国とよく戦争をした。2個の銅鼓を重ねた貯貝器の上には、滇国と昆明国の戦場の戦闘場面が描写されている。直径33㌢の蓋には、22人の人物と5頭の馬が鋳造されている。突進する騎兵、格闘中の歩兵、倒されて必死にもがく負傷者、跪いて許しを乞う投降者の姿が描かれ、体と首がバラバラにされている……などの悲惨な場面もあり、見る者をドキッとさせる。
貯貝器の蓋の上に作られた狩猟場面の生き生きとした像 |
銅鼓を重ねた形の貯貝器(石寨山71号墓から出土) |
祭祀も古代国家の重大行事だ。鼓の形をした貯貝器に描かれた祭祀の場面には、驚かされた。中心には銅鼓3個を重ねた神柱があり、左側は祭祀をしているところで、座っている人、跪いている人、木板に縛られた徒刑者、体しか残ってない死体も描かれている。右側の主要な人物は全身金メッキで輿に座った女性で、2人に担われ、前後に道案内の騎士がついている。おそらく彼女はこの祭祀の主宰者か祭祀者なのだろう。専門家は彼女の周りに頭上に種子かごを載せた人、鋤や種まきの道具を手にした人がいることから、これは滇国の猟師が穀物神を祭祀する豊作祈願の場面だと推測している。