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「3・11」中国大使館員の奮闘記 ─ 最終回

 

「3・11」東日本大震災発生後、東京の中国大使館の全館員が、被災地にいる中国人の安否確認を最優先し、「人間本位に、外交は国民のために」の理念を実践し、日本の防震・救助活動の最前線で奮闘した。震災一周年を迎えるに当たり、本誌は当時、最前線で奮闘した大使館員の所感と記録の一部を5回連載としてお届けしたい。地震多発国の中日両国の官民があの震災の教訓を共有し、連携を深める一助になれば幸いです。ここで改めて、今なお被災地の再建に必死に取り組んでおられる日本の皆様に、心からの声援をお送り致します。

 

吹雪の中で援助の手

 

中国駐日大使館 裴貴春

大使館の震災救援活動に多大な貢献をされた小野寺さん(左)に、筆者が中国駐日大使館を代表して「感謝状」を贈った(写真提供・中国駐日大使館)
中日友好の基礎は両国民の友好的な関係にあり、困難に直面したとき、両国民は助け合うべきだ。「3・11」東日本大震災の救援活動に参加して、その大切さをこれまで以上に痛感させられた。被害がとりわけ深刻な被災地での中国人撤退作業や中国国際救援隊による被災地での救援活動、また中国からの救援物資の配送においても、面識の有無に関わらず大勢の日本国民と日本の友人たちが援助の手を差し伸べてくれた。

2011年3月16日の夜、文徳盛参事官、事務室の韓躍さんと私の3人は大使館の指示で、中国から空輸された緊急救援物資を成田空港から岩手県大船渡市で活動している中国国際救援隊に届けることになった。福島第一原発の事故のため、私たちは新潟、山形、秋田へと迂回して大船渡市に向かわざるを得なかった。

中央アルプス山脈のトンネルを抜けると、たちまち大粒の雪が舞う「雪国」に入った。雪のためわずか時速2、30キロほどの速度しか出せない中、昼夜休まず道を急いだが、危険な光景を何度も目にした。気をつけて運転していたが、翌日の午後3時、車は山形県遊佐町北側の山間部でついに故障してしまった。文徳盛参事官は日本の友人を通じて修理工場を見つけたが、必要な部品がないため、その日に修理はできない状態だった。地元にあるすべてのレンタカー会社にも連絡してみたが、貸し出し可能な車はなかった。

万策尽きたかと思われた時に、遊佐町に住んでいる小野寺喜一郎さんのことを思い出した。小野寺さんは1984年に開催された中日青年3000人交歓活動の日本側代表者の一人で、長年中日友好事業に従事してきた。2008年、胡錦濤国家主席が訪日した際、1984年の中日青年交歓活動に参加した当時のメンバーの代表者と会見したが、小野寺さんもその中の一人だった。私は小野寺さんと東京で会ったことがあるので、電話をかけてみた。

思いがけず、電話はすぐに繋がった。小野寺さんは5分もしないうちに現場に駆けつけてくれた。私たちがその日の夜までに被災地に赴きたいということを知ると、私たちのために最善を尽くしてくれた。彼は家に帰って軽トラックを運転して現場に戻ってきた。そして自動車修理工場を営む友人の赤塚正敏さんから少し大きめの車を借りてくれた。これら2台の車に何とか私たちの救援物資を積み替えることができた。その場に居合わせた佐藤秀章さん、斎藤龍太郎さんら地元の人々は、救援物資の積み替えを手伝ってくれた。

こうして車の問題は解決したが、今度はガソリン不足という壁が立ちはだかった。地震のため、ガソリンやディーゼルオイルが不足し、ガソリンスタンドはすべて閉店していた。「心配しなくていいよ。僕がなんとかするから」と小野寺さんは言った。「とりあえずうちでご飯を食べよう。食事が済んだら必ず出発できるようにするから」

小野寺さんの家に着いたとき、奥さんの小野寺智子さんは、すでに温かい食事を準備してくれていた。その温かいもてなしに感動して、胸が熱くなった。私たちが食事をしている間、小野寺さんはあちこちに電話をかけてガソリンを探し、見つかると吹雪の中、ガソリンを取りに行った。午後7時過ぎ、小野寺さんと息子の小野寺真平さんは、自ら運転して私たちを秋田県横手市まで送り届けてくれた。横手市は、小野寺さんが入手してくれたガソリンで走行が可能な最も遠い地点だった。

深夜になって、ようやく先に被災地入りしていた同僚の大使館員と横手市で合流した。小野寺さんたちは、横手市に到着後すぐに帰宅する予定だったが、私たちは彼らを引き止めて、今日はここで泊まるように勧めた。小野寺さんたちは、その日横手市で一泊して、翌日早朝に私たちにお礼を言うタイミングを与えることなく、そっと帰途についた。

このように、小野寺さんらが援助の手を差し伸べてくれたおかげで、救援物資をいち早く中国国際救援隊に届けることができた。

地震は非情だが、人は情で溢れている。被災地でよく耳にした言葉は「ありがとう中国、ありがとう中国大使館」だった。その言葉を聞くたびに、小野寺さんら日本人の友人たちが吹雪の中、助けてくれた光景が脳裏に浮かぶ。私も彼らに心から「ありがとう」と言いたい。

 

人民中国インターネット版 2012年8月10日

 

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