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魯迅博物館を訪ねて

 

魯迅直筆の『藤野先生』の原稿(コピー)を北京の魯迅博物館で初めて見ました。表題の「先生」の上部が黒で塗りつぶされ、その右側に「藤野」と書かれています。字配りから塗りつぶされたのは四字だっただろうと推定できます。正解を先に書くと「吾師藤野」を消して、横に「藤野」と書き足し、「藤野先生」の表題にしたのでした。

この「塗りつぶされた四字」は長年のなぞで、昨年亡くなった魯迅の遺児・周海嬰氏もずっと気にしていたそうです。同氏が亡くなる少し前、同氏や日本人の魯迅研究者らの執念が実って、中国国家図書館に保管されているオリジナル原稿を最新のカメラ技術を駆使して、解読したのが「吾師藤野」だったのでした。この発見は日本でもニュースとして伝わっていたようですが、私は初めて聞く話でした。

魯迅博物館の前庭。先生に引率されて見学に来た北京市内の中学生 (写真=魯迅博物館専属カメラマン・田中政道氏)

ところで、原稿を見ると、魯迅が如何に几帳面な性格だったか読み取れます。

赤い縦罫だけの原稿用紙の各行の真ん中に一字一字がきちんと、しかも真っ直ぐに納まっています。推敲の跡も見られますが、これも一字足りともなおざりにしないという気迫が感じられました。その魯迅が「藤野先生」の表題を決めるのに如何に呻吟したのかと考えると、さすが文豪だと改めて感動させられます。

以前、「藤野先生」の「先生」は中国語だろうか、日本語だろうか、と中国人の友人と話したことがありますが、「吾師」の登場で、また頭の体操ができそうです。例えば魯迅が最初に書いたのは「吾師藤野先生」だったとして、「藤野先生」に改めるのであれば、「吾師」だけ消せばいいのに、なぜ「吾師藤野」を消して、改めて「藤野」だけを書いたのだろうか、とか…。「先生」も後から書き足したのだろうか、とか…。

魯迅の作品は小学校か中学校の教科書で『故郷』の翻訳を読んだことがあり、その後、学生時代は中国語の授業でいくつかの小説やエッセーを読みましたが、魯迅博物館はさまざまな魯迅をまとめて知ることができます。

博物館は地下鉄阜成門駅近くの大通りから胡同(フートン、路地)をちょっと入ったところにあります。前庭の真ん中で魯迅像が来館者を待ち受け、魯迅が尊敬していた仙台医学専門学校の藤野厳九郎先生と上海時代に交流があったアグネス・スメドレーの像が並んで出迎えてくれます。

魯迅が生涯で一番長い期間を過ごした北京や東京、仙台時代の歴史的な写真が展示され、魯迅が生きていた時代を追体験することができます。

近年、魯迅の作品はネット小説に押され気味のようですが、今年の全国統一大学入試でも「魯迅もの」が出題され、かなり読み込んでいないと解答できない魯迅文学の変遷が問われていましたから、今でもエリートには欠かせない教養なのでしょうね。

魯迅博物館に隣接して、故居の四合院も老北京を彷彿とさせます。最近、二度行きましたが、先生に引率された中学生と思われる集団の他に、若いカップルが目立ちました。隠れたデートスポットになっているのかも知れません。

入場料は5元(約60円)ですが、入り口にいる係の女性が、日本人だと分かると、「どうぞ」。ニッコリ笑って、無料で入れてくれました。

島影均

1946年北海道旭川市生まれ。

1971年、東京外国語大学卒業後、北海道新聞社に入社。

1989年から3年半、北京駐在記者。

2010年退社後、『人民中国』の日本人専門家として北京で勤務。

 

人民中国インターネット版 2012年10月

 

 

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