西安に息づく「二都花宴図」
西安のホテル・唐華賓館のロビーで、画家の田村能里子さんが1988年に描き上げた壁画「二都花宴図」をじっくり味わって来ました。西安は北海道新聞の特派員として北京に滞在していた二十数年前から行ってみたい古都でした。その後、北海道で田村さんご夫妻と知り合う機会があり、壁画観賞も西安見物の目的に加えていました。
壁画はロビーに入って、ちょっと見上げる位置に、縦2㍍弱、四面合わせて総延長60㍍の壁面に描かれています。独特な「タムラ・レッド」を基調にした砂漠に健康そうな女性がたたずみ、人生を達観したような老人がラクダのかたわらで一休みしています。長安からローマへ続くシルク・ロードが絹を運ぶ交易の道だっただけでなく、そこにも人々の夢と希望と悩みがあったことを思い浮かべました。
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唐華賓館のロビーにある壁画「二都花宴図」の一部 |
田村さんの壁画は日赤東京医療センター・総合福祉センターロビーやJR札幌駅西口コンコースをはじめ59カ所に設置され、人々の目を楽しませていますが、この西安の壁画が第1号です。1986年、文化庁の研修員として北京中央美術学院に派遣された彼女が、中日合弁ホテル建設に当って、中国側経営者の依頼で制作したのがこの壁画でした。1992年には初めて訪中した天皇陛下ご夫妻も日中友好の象徴として、この壁画を観賞しました。4年前の四川大地震で約30本の亀裂が入ったことを聞いた彼女は、一昨年、修復のために訪れ、「22年前の制作当時を思い出します」と語り、丹念に復元したそうです。
秦の始皇帝陵では巨大な兵馬俑坑に圧倒され、人相が全部違うという兵俑の顔をみて、友人知人に似た顔もあるな、と感心しました。ホテルに戻って、ロビーのソファーで一息つき、また壁画と向き合いました。兵馬俑は発見当初、彩色されていたという説明を思い出し、どんな色だったのだろうか、想像しました。
西安の自慢のひとつはまるごと残っている総延長13㌔の城壁です。ここの上で、少しばかりサイクリングを楽しみました。城内に目をやると、かわら屋根の建物が連なり、「これが長安だ」と納得しました。ホテルに戻って、隋唐時代の日本人留学僧の気分で、別な角度から壁画を眺めました。
唐代の代表的な陵墓の乾陵では、小ぶりになった俑を見て、埴輪を連想しました。則天武后の孫娘が眠る陵墓永泰公主墓の中に入ると、彩色が施された美人画が残っていました。再びホテルで壁画に対面して、砂漠の女たちを眺め、美人のイメージは大昔は世界的に下ぶくれだったのだ、と勝手な想像を楽しみました。
今回の小旅行の目的のひとつは、1936年12月12日に世界を驚かせた「西安事件」の雰囲気を感じることでした。張学良が蒋介石を拉致監禁した華清池では、楊貴妃がつかった風呂よりも、蒋介石が一時、逃げ込んだ裏山を遠望し、事件発生時の緊張ぶりを想像してみました。西安市内にある張学良公館も観光地になっており、張学良が周恩来と話しあった建物や張学良の専用車が想像をかき立てます。
もう一度、壁画。政治とは無縁の穏やかでぬくもりを感じさせる古代絵巻を、また別な角度から眺めながら、何となく哲学する気分になりました。 (題字・中野北溟)
島影均 1946年北海道旭川市生まれ。 1971年、東京外国語大学卒業後、北海道新聞社に入社。 1989年から3年半、北京駐在記者。 2010年退社後、『人民中国』の日本人専門家として北京で勤務。 |
人民中国インターネット版 2012年10月