蘇州で「あいさつ運動」
文=浅野敦
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中国のゴルフ場でもたすきは欠かさずあいさつ運動に余念のない筆者(右) |
さて、実際どのように取り組んだのか。特に正門前での朝の「あいさつ運動」では、会社関係者以外の通行人にも積極的に声を掛けた。あいさつ推進委員会を作り、中国人従業員にも門の前に並んでもらった。この通行人へのあいさつは、一分で30人程度、一日で1500人くらいだとすると、想像以上の効果を実感できた。なぜなら、回数が増えるに従い、近所の人と顔なじみとなったからだ。相手側からの声掛けも増え、「オー」「おはよう」「久しぶり」「お疲れ様」「頑張って」という反応や、車のクラクションを鳴らす人、さらに日本語で「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」と応えてくれ、大変励みになった。手紙をくれた人もいた。朝の取り組みは60回以上行い、延べ10万人以上の人にあいさつを繰り返したことになる。
当初は「沟通从心开始(交流は心から)」と書いたたすきを掛けた日本人のおじさんの姿を見て、一体何が起こったのかと周囲はあ然としていたが、私が元気に「早上好!」と声を掛けると、理解したかのように返答してくれた。あいさつを通じて元気や勇気をたくさんの中国人から頂き、涙が出るほどうれしいことが数多くあった。暑い日も寒い日も、雨の日もあり、特に体調の悪い日は「今日は中止しようか」と考えるほどつらい時もあった。でも、いつも私の心を救ってくれたのは、中国人の感想や励ましである。実施して2カ月後、労働者に「なぜ、あいさつするようになったの?」と聞いたところ、「習慣になった」と言われて感激した。その頃になると、社内の雰囲気は見違えるほど明るくなり、お客さんに対しても常にあいさつが飛び交う。
この取り組みで改めて学んだのは「継続は力」。日々の「あいさつ運動」は精神的にも肉体的にも大変疲れる。でも、指導する側が「相手を立て、目線を下げて」継続的に努力すれば、必ず思いは通じることを確信した。まだ中国企業での「あいさつ」普及活動は始まったばかりだ。
浅野敦 (あさのあつし)
1943年、東京生まれ。中央大学卒業後、日立製作所へ入社し、関連グループの「商品企画・営業・販売」を歴任。約30年後に独立、企業の人材育成を得意分野に中国等で活動中。毅石律師事務所(蘇州)の高級顧問も務める。
人民中国インターネット版 2012年10月