「還暦」迎える『人民中国』
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人民中国雑誌社東京支局の書棚にもバックナンバーの一部が展示されている(写真・呉亦為) |
今年6月、日本語版『人民中国』は創刊60周年を迎えます。英語版『PEOPLE'S CHINA』が新中国成立の翌1950年に創刊され、51年にロシア語版、次いで53年に日本語版がお目見えしました。
敗戦から4年目のその年も、日本は米軍を中心とする連合軍の占領下で、まだ食糧難で小学一年の筆者も食べるものが少なく、おやつは片栗粉をお湯にといただけだったことを記憶しています。当時、新中国では建設のつち音が高く、隣国の日本は大いに注目していました。創刊号を見ると、「発刊の辞」は郭沫若氏が書いていますが、それまでは一部の日本人が英語版を読んでいただけでしたから、新中国の変化と成長をより多くの日本人に日本語で知ってもらいたいという意欲にあふれています。
中国語を勉強し、あるいは何らかの形で中国と付き合う人々はどこかでこの雑誌に出合っていると思います。筆者は2010年から『人民中国』雑誌社で勤務していますが、多くの日本人の友人から「あの『人民中国』ね」と、現在、読んでいただいている人も、かつて読んだことがある人も「それぞれの『人民中国』」を話してくれました。
その中の一人は「創刊号からバックナンバーがそろっていますよ。他の書籍類は整理してもこれだけは大事にしています」と、懐かしそうに話していました。
筆者の出合いは大学で中国語を専攻し始めたころです。当時の中国は文化大革命の最中でしたが、元気いっぱいの青年男女の笑顔が表紙を飾っていたのが印象的でした。その後、断続的ですが、長い付き合いになりました。
「還暦」までの700冊余を振り返ると、日中関係の変遷がよく分かります。72年に国交が正常化するまでは、中国の主張、言い分を宣伝することに力点が置かれ、恐らく、英語版、ロシア語版と同じ内容だったのでしょう。
近年は日本語版だけになり、日本の読者を対象にした内容がメーンになって来ました。また紙の媒体では唯一のオフィシャルな日本語出版物となってからは特にその色彩が濃くなっています。
日中関係は目下「冷凍庫」の中で固まっている感じですが、それでも日本語学習熱は冷めず、大学の日本語学部・学科で勉強している学生をはじめ、街の日本語教室に通っている人を含めると百万人以上が日本語を勉強しているそうです。その中には『人民中国』を副読本にしている人もたくさんいるそうです。
読者の皆さまもそれぞれ『人民中国』との思い出があるでしょう。創刊60年を記念して文集を作成する計画がありますので、本誌78頁ページの応募規定をお読みになり、ぜひご応募ください。
島影均 1946年北海道旭川市生まれ。 1971年、東京外国語大学卒業後、北海道新聞社に入社。 1989年から3年半、北京駐在記者。 2010年退社後、『人民中国』の日本人専門家として北京で勤務。 |
人民中国インターネット版 2013年3月