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河南省開封市 歴史都市に息づく名画にも勝る汴繍

魯忠民=文・写真

「清明上河図」は中国の有名な風俗画の絵巻物である。これは宋代社会の百科全書のようであり、後世の人にこの絵はさまざまな情報を提供してきた。同時に現代中国人にとっても手本となる題材であり、伝統の技である汴繍の伝承にも大きな影響を及ぼしてきた。

◆開封の清明上河園

河南省開封市には、清明上河園という、北宋の画家張択端が描いた「清明上河図」をモデルに建造されたテーマパークがあり、ここでは北宋(960~1127年)の市井文化、皇室庭園、かつての娯楽などを観光客が自ら体験することができる。

刺繍による「清明上河図(部分)」(写真提供・素花工芸公司)

筆者が清明上河園を訪れたのは、あるうららかな春の日で、人々は暖かな日差しを存分に楽しんでいた。絵の中に見られるアーチ型の虹橋が目を引き、その橋の下を古式の舟や帆船が通り抜けてゆく。宋代の服装をした人々が橋の上を往来しており、大きな包みを背負った男、唐傘を差し、楽しげに笑う女性、一輪車を押す人、道端の物売りなどが見られる。中には、『水滸伝』に登場する秋波を送る潘金蓮、てんびん棒を担いで蒸しパンを売る武太郎と、一目で分かる人物もいた。さらに多いのはひしめきあう観光客で、古式の店舗や家、塔や宮殿の中に出入りしており、現代版の「清明上河図」を形作っていた。

汴河の上の再現された宋船 「清明上河図」を刺繍する女性

「清明上河図」は、幅24.8㌢、長さ525㌢で、翰林図画院の画家張択端が、散点透視法で550人余りのさまざまな人物と、5、60匹のウシやウマなどの家畜、20台余りの手押し車や籠、20艘余りの船、さらには店舗や納屋、樹木や橋、山や川などを描きこんで、12世紀の北宋の都の姿を描写したものである。これは宋代社会の百科全書ともいえ、後世の人はここからさまざまな情報を得てきた。その実、清明とは清明節の一日だけを指すのではなく、世の中の太平を讃えるために描かれたもので、画家の生活に対する観察力と、極めて高い表現技巧を余すところなく示している。

◆宋代に花開いた技

開封の観光地ではどこでも、「清明上河図」をモチーフにした工芸品を見かける。最も多いのは刺繍である。開封の刺繍は独得なスタイルがあり、開封の古名である汴をその冠につけ、「汴繍」と呼ばれている。

汴繍は宋繍に源を発する。『宋史』によると、北宋の崇寧4年(1105年)、宮中に「文繍院」が設けられた。絹織物業が発達した四川、江蘇、浙江などから300人余りの優秀な女性を募って都に送り、皇帝や皇后や妃、高官や貴人だけのために、豪華な衣装や官服、装飾品を作らせた。これは「宮廷繍」あるいは「官繍」と呼ばれ、全国の刺繍工芸に未曾有の交流と融合をもたらした。徽宗の時代(1100~1125年)には繍画科が設けられ、書画が刺繍の中に取り入れられ、山水、楼閣、人物、花鳥といった内容ごとに分かれて研究された。このため、優秀な人材が育成され、独特な観賞用の刺繍作品が形作られた。宋繍の構図は見事で、題材を取捨選択し、余白を重視しており、一面に刺繍が施された唐代の作品とはまったく異なる。明代の董其昌は著書『筠清軒秘録』に、「針を用い髪の如く細かいものは、色が精妙で光を放ち目を射る。山水には遠近感があり、楼閣には奥行きがあり、人物は生き生きとしていて、花はとてもあでやかで、鳥のさえずりを聞くようである」「佳きものは、絵に比べてもさらに勝る」と書いており、宋繍を高く評価している。現在、故宮に保存されている刺繍はほとんどがこの種のものだ。宋代の皇帝は工芸や美術を重視していたため、宋繍は大きな発展を遂げた。開封には、民間に大きな刺繍グループがあっただけでなく、華厳寺の尼寺などに、刺繍に長じた尼僧がいた。さらに、当時、開封大相国寺の東門外には「繍巷」と呼ばれる通りがあって、そこに刺繍をする女性が集まって住んでおり、また刺繍品が販売されていた。汴繍は宋の朝廷の高麗や日本などの諸国への贈り物や、交易品として使われた主要な芸術品であった。

再現された虹橋の上をゆく宋代の衣装を着た人々

北宋が滅亡すると、刺繍の技術を持つ者たちが各地に離散し、各地の刺繍の発展に影響を与えた。明・清代には四大刺繍と呼ばれる蘇繍(江蘇)、湘繍(湖南)、蜀繍(四川)、粤繍(広東)が生まれた。このほか、独特なスタイルを持つ京繍(北京)、魯繍(山東)などもある。開封の刺繍技術は代々にわたって受け継がれ、現在の汴繍は、宋繍を基礎に発展したものである。花や草、虫や魚、鳥や獣などの描写、そしてさらに山水画などの風景画に長け、特に人物の描写は細やかで生き生きとしている。

 

◆古典名画の刺繍作品

街頭でも「清明上河図」の刺繍工芸品が販売されているが、残念ながら刺繍は粗雑で、生産者がもっぱら利益を追求した結果の製品といえる。現地の関係者の案内で、開封市素花宋繍工芸有限公司を訪れ、ようやく期待していた汴繍の逸品を見つけた。この工場は次第に規模を拡大し、現在では敷地面積が約10ムー(1ムーは667平方㍍)にもなり、二つの身体障害者の作業場を含めた5つの作業場を持つ。職員は計200人余りで、刺繍職人の他に、絵師、表具師もその中に含まれる。王素花取締役会長は今年76歳で、刺繍工芸に携わってはや60年となる。現在は中国工芸美術大師、中国刺繍芸術大師、国家級無形文化遺産(汴繍)の代表的な伝承者であり、また、中国工芸美術終身成就賞の受賞者、中国工芸美術刺繍専門委員会の副主任でもある。

再現された機織り工房。ここの主人夫妻も宋代の衣装を着ている

舞台で上演される「清明上河図」

1954年の冬、開封で7人による汴繍協力グループが設立された。1958年には初めての国営汴繍企業である開封汴繍厰が設立された。王会長はここに最も早く入社した職人の一人で、入社してまもなく、新中国成立10周年の祝いの品である「清明上河図」の刺繍製作に参与した。当時わずか22歳だった王会長ら女性職人は、この刺繍を仕上げるために工場内にずっと寄宿して、作業に没頭した。彼女たちは蘇州で経験を積み、農村でロバの毛を観察したり、黄河で船頭にロープの巻き方を学んだりもした。さらに専門家のもとで「清明上河図」を繰り返し研究し、全体的把握にも努めた。つまり、そっくりさを求めた上で、さらに絵の持つ精神性の表現も追求したのである。刺繍は絵画とは違い、墨の濃淡や乾湿が糸の色彩と方向でしか表せない。そこで、彼女たちは各種の刺し方を比べ、真に迫る刺繍を目指した。新しい運針法を開発し、十数回も試行錯誤を重ねた。こうして、心を一つにして少しもおろそかにせず、4カ月余りの苦しい戦いを経て、「清明上河図」の刺繍作品を立派に仕上げた。この作品は専門家の認証と検査に合格し、1959年の新中国成立10周年の際に河南省からの贈り物として北京に送られた。その際に、王会長は製作者代表として、毛沢東主席や周恩来総理らの国家指導者と面会し、同作品は北京の人民大会堂の河南ホールに飾られた。

虹橋の下を「宋代の穀物運搬船」が往き交う 清明上河園内の街角に立ち唐傘を差す「潘金蓮」

それ以降、汴繍は中国の古典名画の刺繍を主要な製品とするようになった。唐代の韓滉の「五牛図」、周昉の「簪花仕女図」、五代十国の顧閎中の「韓熙載夜宴図」、元代の「永楽宮壁画」、清代のイエズス会宣教師で宮廷画家となったカスティリオーネの「百駿図」、および現代画家の斉白石や徐悲鴻らの名画も、汴繍の素材として使われた。これらの作品は日本、フランス、スイスおよび東南アジアで注目され、購入・収蔵された。1982年の中国美術百花賞の評定の中で、汴繍は湘、蘇、粤、蜀という四大刺繍に次いで5番目に名高い刺繍となった。「蘇繍は猫、湘繍は獅子と虎、蜀繍は魚、粤繍は鳥、汴繍は人物」と言われるように、各種の刺し方はそれぞれに長所を持つ。四十数年後の2003年、王会長が自ら刺繍したもう一つの「清明上河図」が、全国工芸美術作品展の一等賞を受賞した。彼女は「清明上河図」と切っても切れない縁があり、現在、毎年約20枚ほどの「清明上河図」全巻の汴繍の逸品を生産し、それは日本、フランス、米国などに販売されている。

◆汴繍の道具と技術

刺繍の基本道具と運針は、中国各地さほどの違いはなく、ただ呼び方が違うだけである。基本技術のほかに、各地で異なる自然条件のもとでそれぞれの特徴が生まれた。

若い刺繍職人を指導する王素花会長 人物には主に伝統的な平針を使う

汴繍に使われる道具は非常に一般的なもので、刺繍糸、刺繍布、刺繍台、刺繍枠などである。

刺繍布 汴繍に使うのは目の細かい平織りの絹織物で、両面刺繍の場合は透明な絹を使う。

刺繍針 針の選択は特に両端に注意しなければならない。針穴は楕円形のほうが糸が絡みにくい。針先はとがっているほうがよい。

刺繍糸 刺繍はすべて生糸を使い、通常は一本の糸をさらにいくつかの細い糸に分けて使う。例えば、動物の毛、金魚の尾びれなどを刺繍する際には、軽さや薄さ、透明感またはふかふか感を出さなければならない。

刺繍枠 四角いものと丸いものがある。四角い枠は通常、大きい刺繍作品に使う。刺繍する時、糸の張りを調整し、布の縦糸と横糸を垂直あるいは水平状態を保ち、布目を斜めにしてはいけない。

運針法 王会長によると、汴繍の運針方法は、1950年代初期にはわずか十数種だけだったが、1958年には29種にまで増えた。そのうち伝統的な運針法は14種、蘇繍、湘繍を参考にした運針法が5種で、新たに作られた運針法が10種である。90年代に入ると、汴繍は運針の革新と改良を行い、現在の運針法は36種ある。王会長はその名をすらすらと挙げるが、素人にとっては、これらの運針を一つひとつ説明するのは難しい。ここからも、刺繍の奥深さがうかがえる。

若い女性たちが心を一つにして一つの作品を仕上げる 一心不乱に細かなところまでおろそかにしないのが基本だ

「清明上河図」は非常に凝った刺繍作品で、対象物の特徴によって違う運針法が使われている。例えば人物は汴繍の伝統的な平針を使う。また、船のロープは双合針、柳は蒙針、水紋は滾針、家畜は悠針などである。「清明上河図」を全部刺繍するには、易しいものから難しいもの、色の薄いものから濃いものという順番で進めなければならない。まずは背景、柳、家屋などを刺繍し、最後に人物にとりかかる。人物も、最初は体、服飾、その後に顔を刺繍する。顔はまずうすいピンクで全体を刺繍し、次に濃い色で目鼻を刺繍する。この「清明上河図」全巻は、汴繍の素朴で優雅、細やかで多層的な、生き生きとして真に迫った表現をよく示しており、その鮮明な立体感と民間的色彩に富む独特な風格によって、汴繍の代表作となっている。

 

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