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円明園十二支像の行方は?

 

北京の人々は長い冬が終わると、一斉に「踏青」に出掛けます。日本語でも春の季語ですが、文字通り、新緑を踏んで歩くピクニックという意味です。特に今年の冬はPM2.5で息苦しかったせいか、格別でした。5月初め、筆者も久しぶりに円明園に出掛けました。

円明園で最も観光客が多いのが、この西洋建築物のがれき遺跡

1860年、弱体化し始めていた清朝の足元を見て、第二次アヘン戦争で英仏連合軍が北京に攻め込み、華麗な離宮だった円明園を破壊し尽くし、略奪の限りを尽くしました。フランスの詩人・小説家、ビクトル・ユゴーがこの暴虐を知って、嘆き、激怒したことも知られています。

筆者が円明園の踏青を思い立ったのは、4月下旬にフランスの富豪が、その昔、円明園にあった十二支像(円明園十二生肖銅獣首)の中のネズミ(子)とウサギ(卯)を無償で今秋、返還するという佳話を新聞で読んだからでした。フランス大統領が訪中して、首脳会談が行われていたころでした。偶然とは思えませんが、中仏友好ムードを大いに盛り上げていました。

像と書きましたが、実は首から上だけです。北京市内紙によると、1747年から12年もかけて、ヨーロッパから来ていた宣教師たちの設計で建設された西洋風の建築群の目玉だった海晏堂の噴水池周辺に設置されていました。2時間ごとに順番に口から水を噴き、正午には全ての像が水を噴き出すという凝った仕掛けもあったそうです。

この像の首が切られて、持ち去られました。英仏連合軍の仕業ではなく、その時は難を逃れ、その後、海外に流出したという説もありますが、今回、フランスから返還されるのはその中の二つです。ウシ(丑)、トラ(寅)、ウマ(午)、サル(申)、イノシシ(亥)は中国の民間人が買い戻し、北京市内にあり、タツ(辰)は台湾にあるそうです。今なお行方不明なのはヘビ(巳)、ヒツジ(未)、トリ(酉)、イヌ(戌)と人間の形だった下半身全部。円明園には復元像が展示されているだけです。

地下鉄の円明園駅で降り、正覚寺から園内に入りました。円明園と言えば西洋建築の破壊跡が有名で、筆者も20数年前、2年前に行った時はそちら側を見物しました。今回は裏口から入りましたので、大小の池や湖がふんだんに配され、水辺から対岸の山を眺められる場所に建っていた中国風木造建築の土台だけが残っていることも初めて知りました。小一時間ぶらぶら歩いていくと、だんだん観光客が増え、西洋建築物の残骸遺跡には大勢の人々が訪れていました。四川汶川や神戸の灘で大地震の巨大な破壊力を見て、言葉を失いましたが、それとは全く違う人為の残酷さを改めて感じました。

この負の遺産の近くに以前はなかったユゴーの胸像が建てられ、「二人の強盗、ひとりはフランス、もうひとりは英国」という、怒りの書簡の一部が刻まれていました。

こうした悲惨な歴史はさておき、筆者が訪れた日には皇帝が満開のボタンを鑑賞する光景を再現したイベントが開かれ、5月中旬には湖上で集団結婚式が行われ、憩いの場にもなっているようです。

島影均

1946年北海道旭川市生まれ。

1971年、東京外国語大学卒業後、北海道新聞社に入社。

1989年から3年半、北京駐在記者。

2010年退社後、『人民中国』の日本人専門家として北京で勤務。

 

人民中国インターネット版 2013年7月

 

 

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