運は一瞬、縁は一生
桑本 祥代 (くわもと あきよ)
2003年、島根県庁に入庁。学生時代に訪れたことがある北京大学を思いがけず再訪するなど、自身も中国との縁を感じている。表題は「ご縁の国しまね」のキャッチコピー。
私は、島根県庁から2年間の予定で、財団法人自治体国際化協会(CLAIR)北京事務所へ派遣されており、ちょうど9カ月が過ぎようとしているところです。
島根県といえば出雲大社を想像されるかもしれません。旧暦の10月には八百万(やおよろず)の神々が縁結びの会議をするため出雲大社に集まり、他の地域では神様がいなくなるため、一般的には「神無月」と呼ばれるのに対して、我々は「神在月」と呼びます。
私が中国に派遣されたのも、きっと神様が中国との縁をくださったのだと思います。
島根県は、中国との絆が深い竹下登元首相の出身地ということもあり、1994年より継続的に中日友好協会から国際交流員*1を受け入れていますが、これは日本でも島根県だけの特別な縁です。島根県は日本では知名度が高いとは言えませんが、中日友好協会の皆さんと話をしていると、中国では島根県を知らない人がいないのではと思うくらい、何度も話に上り、大切に思ってくださっていることが分かります。
同僚は、「日本にいるより中国にいる方が島根県という言葉をよく聞く」と笑いますが、長期にわたり職員派遣を継続するのは容易なことではありません。これは日中の交流に尽力した方を尊重し大切に思い続ける、人情に厚い中国人の素晴らしいところだと思います。
また昨年は、島根県と寧夏回族自治区との友好提携20周年を迎えました。島根県と寧夏は、両国では小規模の自治体に数えられますが、それゆえに共通の想いを持つことができ、密な交流ができているのだと感じます。
私も2回ほど寧夏を訪れるチャンスに恵まれました。
1回目は青少年交流事業で、島根県や寧夏、韓国、モンゴルの青年たちによる交流の場に立ち会いました。短い滞在でしたが毎晩遅くまで語り合い、想いを伝え、再会を誓って涙するなど、青年たちが互いに友情を育み、言葉や文化の違いを感じながらも理解し合おうとする姿勢には感動すら覚えました。 彼らが出会った縁は、彼らの人生だけではなく、両国の今後に大きな影響を及ぼすことでしょう。次世代を担う青年が、地域間の友好交流だけではなく、両国間の友好の懸け橋となってくれることを願わずにはいられません。
2回目の訪問は、寧夏・島根友好都市締結20周年式典でした。
島根県からは60名近くの訪問団が派遣されました。多くの方は、寧夏での植林活動ボランティアをされていたり、寧夏の学生をホームステイで受け入れた方々です。「自分の娘も社会に育ててもらっているから、当然の恩返しだ」「留学後の就職の世話をしてやりたい」と実の娘のように愛情を注いでいる姿が印象的でした。この縁が将来、寧夏だけではなくもっと大きな実りとなることを期待しています。
縁はその瞬間だけで終わるものではありません。先達からいただいた大切な縁をさらに花開かせ、次の世代につないでいく、私もそんな役目を果たせるよう努力していきたいと考えています。
*1 地方公共団体の国際交流担当部局などに配属され、国際交流活動に従事する者
人民中国インターネット版 2014年2月