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歴史散歩のすすめ

─中国史の断片を求めて─

 

私はアジアの歴史や文化に興味があり、日本で東洋史を専攻していました。アジアの極東に位置する日本は、長い歴史の中で中国から多大な影響を受けており、今日でも生活の中に中国文化の断片を見ることができます。文中で用いられている漢字、節句に残る中国の暦法など、枚挙に暇がありません。本来、日本人にとって中国とは、非常に近い存在のはずです。しかし、日本のニュースを通して見る現代中国は、なんだか遠い存在であり、急速な近代化によって形成された、古代中国と断絶した空間であるかのような印象を受けます。私自身も古代中国は、史料を通してのみ見える世界であり、その文化は歴史の彼方に消え去っていったかのように感じていました。

一昨年、幸いにも中国に留学する機会をいただき、以来北京大学に籍を置いて歴史を研究するようになりました。北京の街を見ますと、乱立する高層ビルが中国の急速な経済成長を象徴し、天安門広場やオリンピック公園はまさに現代中国が形成された舞台です。中国の首都である北京は、抱いていたイメージ通りの現代中国を体現しています。

しかしそんな北京でも、史跡や地名の由来を調べ、現地を歩くことによって、多くの歴史を肌で感じることができます。市の中心に鎮座する紫禁城の周りには、満州貴族の邸宅が今なお往時の姿をとどめています。地下鉄2号線はかつての城壁の真下を通り、城門の名前が駅名となっています。現代中国のベールを少しめくると、そこには300年にわたり中華を統治した清国の姿が現れるのです。そして北京に紫禁城と城壁を築き、街の形を造ったのは、もうひとつ前の明朝です。勇壮な姿をたたえる万里の長城も、明の皇帝によって改修されたものです。明のさらに前の元朝は、北方から来た蒙古族が建国し、北京に都を築きました。北京には胡同という路地がたくさんありますが、これは蒙古語由来の言葉で、当時の名残です。さらに北京でよく見る燕京ビールは、なんと2500年前に栄えた燕国の名に由来しています。この他にも北京の地名や史跡には、各王朝による統治の痕跡が至るところに残っているのです。

何気なく歩いているなら気づかないものですが、少し意識するだけでさまざまな断片から歴史を感じ取ることができます。そして現在と古代は決して断絶しておらず、しっかりとつながっているのだと実感しました。これは北京に限ったことではなく、どの街にもそれぞれの歴史があります。歴史の感覚は、本やメディアを通してではなく、実際に現地に行かなければ得られないものです。また日本人にとって中国の歴史は単なる他国の歴史ではなく、日本文化の源流を知ることにつながります。知れば知るほど、遠いと思っていた「中国」が身近に感じられるのではないでしょうか。中国の街で歴史の断片を求めて歩く歴史散歩。皆さんにもぜひ現地を歩き、歴史の面白さを肌で感じていただきたいと思います。

 

新井崇之 (あらい たかゆき)

1987年、長野県生まれ。明治大学文学部史学専攻卒。明治大学大学院博士課程在学中に中国政府から奨学金を取得し、2012年より北京大学考古文博学院に籍を置いている。文献史学と考古学の手法を用い、中国美術史および文化史を研究している。

 

 

人民中国インターネット版  2014年3月

 

 

 

 

 

 

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