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世界遺産になった大運河

 

文=島影均

6月下旬にカタールの首都ドーハで開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の会議で、群馬県の「富岡製糸工場と絹産業遺産群」が世界文化遺産に登録されました。この少し後、同じ会議で北京と杭州を結ぶ京杭大運河も世界文化遺産に登録されました。北京は大運河の北端に当たり、水運ルートの終点でしたが、北京市内に断続的に残っている運河・通恵河の河道と橋などが登録されました。

獅子が笑う永通橋の欄干。下を流れる大運河の一部だった通恵河が往時を伝える

たまたま今北京に住んでいますから、野次馬根性でちょっと見に行ってきました。大運河は北海道新聞の北京特派員だった二十数年前に江南地方のゆったりと流れ、いまでも欠かせない水運として活躍している様子を取材したことがありますが、北京の運河をじっくり見たことはありません。

見物に行った中で、一番遠いところが北京市内の東の郊外・通州区にある永通橋です。明代以降、大理石の石に掛け替えられたそうですが、2車線の道路を載せた幹線道路の橋として現役です。横断に戸惑うほど多くの車が行き交っていました。両側の欄干は鉄格子でがっちりガードされ、欄干の上には数㍍おきに石作りの獅子が乗っています。有名な盧溝橋(マルコポーロ橋)の欄干に乗っているのと同じような可愛い獅子たちで、いろいろな表情をしています。中には呵呵大笑{かかたいしょう}という言葉を思い出すような大口を開けて笑っているように見える獅子もいて、思わずつられて笑ってしまいました。獅子の背後に、運河の川面が見えました。雨が少ない夏でしたから、水位は下がっていましたが、昔、ここを穀物や絹織物を積んだ船が上っていた光景を想像しました。

ただ、この橋も1860年に英仏連合軍が北京に侵入した際に砲撃で一部が破壊され、橋上では防戦の清朝軍に多数の犠牲が出た血塗られた過去があります。

見捨てられたようにひっそり横たわる通運橋―かつてはここで荷揚げが行われた

この橋から少し離れたところにある通州区張家湾の通運橋にも行ってきました。ここも運河の一部で、今回は世界遺産に登録されませんでしたが、近いうちに追加登録されるようです。

ここ欄干にも獅子が乗っていましたが、かなり風化して表情は読めません。橋の上には大きな石が敷かれていますが、でこぼこで歩くのも難儀なくらいです。車をもちろんのこと人通りもまるでありません。セミしぐれの中で、すり減り、なめらかになっている敷石の表面を眺めていると、昔、ここを数えきれない人馬が往来していたことが想像できました。かつての運河も今ではよどんだ水たまりで、その痕跡をとどめるだけでした。

北京市は世界遺産登録をきかっけに市内各地に点在する運河と橋を保護し、一部は復元し、観光資源にする構想を練っているようです。すでに市街地の万寧橋から東不圧橋に至る河道は市民の憩いの場として整備されはじめ、運河にせり出した縁台を設けて夕涼みできるところもあります。

見て歩いて、一番印象に残っているのは、栄枯盛衰を感じさせる通運橋の敷石でした。

 

人民中国インターネット版 2014年9月

 

 

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