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現在位置: 2010年 上海万博愛知から!上海万博へ「若者応援コラム」

万博会場で『孫文と梅屋庄吉』展

日中のボランティアがサポート

岡田紘幸=文・写真

今回は特別編。企業人と一緒に万博イベントの企画・実施と成功のために頑張る上海のすてきな学生に出会い、インタビューした。復旦大学三年生、学生団体「RINKOKU」代表の日高愛理さん。

2000年にわたる中国の封建王朝支配に終止符を打ち、近代中国の扉を開けた革命の父・孫文。その孫文を支えた日本人実業家・梅屋庄吉。100年以上前にアジアの平和と共存を夢見た2人の生き様を史料や映像でつづった上海万博『孫文・梅屋庄吉展』の学生ボランティアを統括する。日高さんにその思いを聞いた。

 

日高愛理さん

――上海万博の今回の展覧会に関わることになったきっかけを聞かせてください

日高 上海でとてもお世話になっている人がいます。その方に、梅屋庄吉の曾孫にあたる小坂文乃さんを紹介していただき、また上海万博『孫文・梅屋庄吉展』を開催する話をいただきました。そして小坂さんから、今まで世に知られることのなかった梅屋庄吉がどのような人物であったのか、展覧会開催への思いをうかがい、ぜひ今回のイベントにかかわりたいと思いました。

上海万博には以前から何らかの形でかかわりたいと思っていました。もし次に中国で万博が開催されることがあっても、私は生きていないかも(笑)。しかし、会場ボランティアやパビリオンのアテンダントは、大学の授業など時間的な問題で難しいこともあり、決めかねていたのです。そんな時に『孫文と梅屋庄吉展』と出会いました。

――孫文と梅屋庄吉の両者の関係を知って、特に感じることは何ですか

日高 当時の史料や映像を見る中で、梅屋庄吉の先見の明には本当に驚きました。100年前からアジアに注目していて、若いときから各地に足を運び、上海へも来ていたそうです。その当時すでに、中国での国際博覧会開催を提唱しており、2010年の今、まさに彼の思いが実現しています。

梅屋庄吉は若い頃の孫文との盟約を生涯貫き通すのですが、その彼が残した言葉のひとつに「富貴在心」があります。私がとても感銘を受けた言葉で「富や尊さというのは財産や地位ではない、人の価値は魂にある」という意味。彼は当時、実業家としても大変成功していたそうで、もしかしたら二人の約束があったからこそ、それが原動力となり、事業の成功、そして革命支援ができたのではないかと思うのです。

展示会開催期間中には、多くの皆さんにご来場いただけたらと思います。私の他にも、日本人と中国人合わせて約30名のボランティアスタッフが当日運営にかかわります。約100年前から国を越えて深い友情で結ばれた孫文と梅屋庄吉を、たくさんの人に知ってもらいたいです。

 

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