中国─日本 友好の絆⑨ 鄭州
張春侠=文
中国の中央部にある河南省の省都鄭州市は、中国の伝説上の帝王である黄帝のふるさととされる。また、商の都邑で、歴史上5度みやこが置かれ、中国8大古都の一つでもある。商代から数えると鄭州は3600年余りの都市史を持つ。著名な少林寺もここにある。かつて、鄭州は交通の要であり、今でも中国の重要な交通ジャンクションで、鄭州駅は中国鉄道の「心臓」と言われる。
埼玉県の県庁所在地であるさいたま市は、関東平野の中心にあり、首都東京からわずか30キロの距離で、交通の便が良く、製造業が発達し、教育が盛んである。さらに経済・文化・芸術の中心都市で、東日本の入口でもある。
両都市はともに交通という強みを持ち、多方面で補完性があるため、1981年10月12日、鄭州市と浦和市(2001年に大宮市・与野市と合併し、さいたま市となった。以下はすべてさいたま市と表記)は、友好都市関係を締結した。これは鄭州の初めての国際友好都市でもある。30年余りの間、両市は文化、スポーツ、教育、経済・貿易などの分野で、広範な交流と協力を行ってきた。
友好の木はいつも緑
鄭州市西部に、市民にレジャーと娯楽を提供する碧沙崗公園がある。公園になる前、ここは馮玉祥将軍が戦死軍人のために建てた烈士陵を中心とした庭園だった。この公園の門をくぐるなり、2株の大きなマツの木が両側にそびえ立っているのが目に入る。木の下にある石碑から、この2株の木は、1985年にさいたま市市長が訪れた際に植えられた記念樹だということが分かる。この公園の中にはさらに枝を盛んに茂らせたヒマラヤスギ2株とサクラ園があり、これらは二つの都市の真摯な友誼を見届けてきた。
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1981年10月12日、鄭州市と浦和市が友好都市関係を締結した(鄭州外事弁) |
鄭州市人民政府外事僑務弁公室(以下鄭州外事弁と略)の李陶然主任は、次のように紹介する。友好関係を締結して以来、両市の高官たちは絶えず相互訪問を行い、植物の種や木の苗を贈り合っている。1983年8月、さいたま市の代表団が鄭州にやって来て、花の種48種類を贈った。1984年と1986年には、さいたま市は続けて2回、鄭州市に700株のサクラの木の苗を贈った。毎年春になると鄭州市民は碧沙崗公園と人民公園で、見事に開花したサクラを見ることができる。1985年4月、さいたま市の訪問団は、黄河遊覧区にスギの木の種とゴヨウマツの種をそれぞれ3キロ贈り、また300株のペキンヤナギの苗を持ち帰った。これらの木の種はどちらの土地でも見事に根を下ろし、異国の空気を吸いながら、異国情緒を楽しんでいる。また、鄭州市の市花であるコウシンバラも、さいたま市で咲き誇っている。
統計によれば、30年余りの間、両市が相互に派遣した交流団は70グループ以上で、その中で高官の相互訪問は27回に上る。さいたま市の歴代の市長はみな鄭州市を訪問しており、その中で元浦和市市長中川健吉氏と、元浦和市市長で初代さいたま市市長の相川宗一氏は在任中にどちらも3度鄭州を訪れており、両市が友好都市となった記念イベントに参加している。鄭州市の多くの高官たちも何度もさいたま市を訪問している。
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1986年10月1日、鄭州市と浦和市の友好都市締結5周年を記念して、当時の鄭州市の胡樹倹市長と浦和市の中川健吉市長が共に碧沙崗公園に植えた友好の木(写真・劉世昭) | 鄭州で出土した新石器時代(6800~4800年前)の仰韶文化の彩陶双連壺(写真・劉世昭) |