中国─日本 友好の絆⑨ 鄭州
混ぜればゴミ、分ければ資源
「これはわれわれが撮影したドキュメンタリー番組の計画案です。どの特集もとても詳しく書かれているので、わたしはずっととっておいてあります」と、鄭州テレビ局の陳玉成副局長は、当時さいたま市で撮影されたドキュメンタリー番組の資料を見せてくれた。
それは1998年9月のことで、鄭州市は記者団を派遣し、交通事情、農産品の生産・販売、ゴミ処理、都市美化などをテーマに、さいたま市を訪問し撮影を行った。陳さんは幸いその一員に選ばれた。初めて日本に行った陳さんは、行く前には、日本も人口が多いのだから、中国の都市とたいした違いはないだろうと高を括っていた。「さいたま市があれほど良く緑化されているとは思いませんでした。飛行機から降りた途端、一面の緑が目に入り、至るところに緑の森があり、山の上には木が生い茂り、どの家もとても良く緑化されていました」
陳さんを一番驚嘆させたのは、ここで行われているゴミ処理だった。「日本人は『混ぜればゴミ、分ければ資源』と言います。これを身をもって体験しました」。陳さんと同僚は、さいたま市がゴミの分別処理とゴミの量の削減に取り組んでおり、再利用や焼却、埋め立てなどの手段によって、ゴミの利用を最大化していることを知った。市民のゴミ集中処理の状況を知るために、陳さんはビデオカメラを担いで市議長の家に行き、議長夫人のゴミ分別処理の全過程を撮影した。
その取材に同行した張樹忱氏が最も印象深かったのは、夜12時過ぎ、大雨の中、信号がある小さな十字路で、ある人が傘をさして静かに信号が変わるのを待っている場面で、足元にはすでに水溜りができ、道にはまったく通行人も、通りかかる車もない、というシーンである。
わずか12日間という期間で、彼らは農産物取引市場、スーパーマーケット、交通、ゴミ処理、公園など多くのテーマ別に撮影を行った。より多くの素材を得るために、早朝から夜更けまでカメラを回し続け、同伴の日本人スタッフも彼らの勤勉さに深く打たれたという。帰国後、これらの素材に基づいて4回分のテレビドキュメンタリー番組が制作され、放送後、大きな反響を得た。