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中国─日本 友好の絆⑩ 洛陽

 

研修生の経験を生かして

2010年4月、岡山市日中友好協会が新安県磁澗鎮申洼小学校にパソコンと教育器材を寄贈する式典であいさつに立つ岡山市陵南小学校の高塚幸巳(中央右)前校長(写真提供・洛陽市外事弁公室)
13年前に、中藤季子さんは1999年度洛陽市技術研修生として、洛陽市で一年間暮らした。その年は中華人民共和国成立50周年に当たり、国中が喜びにあふれている年に中国に滞在できたことを大変光栄だと思った。

当時、中藤さんは大学を卒業したばかりで、洛陽の人々と積極的に交流し、日本と中国の文化や歴史、思想を互いに理解し合い、友好を深めていきたい、また悠久の歴史を誇る洛陽の名所旧跡を自らの目で見、その素晴らしさを一人でも多くの岡山の人々に伝えたいと意気込んでいた。

「洛陽の人々は想像以上に友好的で私たち研修生を歓迎し、親切にしてくれました。また、次第に何でも話せる親しい友だちになりました」と語る。こうして、中藤さんは心温まる機会の多い充実した洛陽の研修生活を過ごすことができた。

帰国後、中藤さんはNPO法人岡山市日中友好協会の職員となり、「再び洛陽市と岡山市の友好促進のために微力を尽くすことができて本当に幸運でした」と語った。

中藤さん(結婚して石井姓に)の夫も中国語が分かる。彼はかつて岡山県国際課で5年間働いた。中国語と中日友好交流が二人の仲人だと言える。

2012年4月、岡山市の高谷茂南市長(左端)と岡山市日中友好協会の片山浩子会長(中央右)が洛陽市の希望小学校を訪れて開かれたコピー印刷機の寄贈式(写真提供・洛陽市外事弁公室)
今は二児の母となり、育児に追われる日々だが、子供たちの時代には、両国の友好関係がさらに深まることを願って止まない。「国を超えて洛陽の友人と真の友情を結べるように、日本と中国との友好関係もさらに深まると信じています」と語っていた。

彼女は多くの研修生の一人にすぎない。両市は友好都市協定を締結した後、まず調印したのが研修生の交流協定だった。1982年、洛陽市の研修生3人が岡山へ医療技術と日本料理の技術の習得に赴き、研修生交流の幕を開いた。今では、両市は互いに研修生40人を派遣し、洛陽市の教師12人が岡山で教職についている。

相互に研修生を派遣するほか、1994年、両市は海外青少年訪問団の相互派遣を始めた。2007年から隔年でそれぞれ10人の学生を派遣し、ホームステイ式の交流を行った。「子どもたちが岡山市民の礼儀正しさを見ると、明らかに差を感じています。一部の子どもたちは初めて行くと日本が大好きになり、将来日本に留学したいと表しました」と于さんは感慨深げに話していた。

 

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