People's China
現在位置: サイト特集中日国交正常化40周年特別企画中日友好の絆

中国─日本 友好の絆⑩ 洛陽

 

日本語は分からなくても

洛陽理工学院芸術学院の曲紅昇副院長は今年41歳で、日本語が分からない彼は日本との縁ができるとは思ってもみなかった。「それまで、ニュースで洛陽と岡山が友好都市であると知っていましたが、自分とは何の関係もないと思っていました」

洛陽理工学院芸術学院の実習室で、唐三彩の手作りに取り組む日本人学生ら(写真提供・曲紅昇)

曲さんと日本との縁はまぎれもなく偶然の産物だった。2003年、70代の画家・佐藤安南さんが洛陽へ写生に来た。洛陽には理工学院があることを聞いて、見てみたいと思ったところ、たまたま出会ったのが曲さんだった。曲さんは佐藤さんに学校を案内し、また芸術専門と日本語専門の学生との交流の場を手配した。佐藤さんはすぐここが気に入り、その後毎年自費で洛陽へ来るようになった。

2007年10月、曲さんは研修生として岡山ビジネス学院に行った。「岡山市役所は私を大切にもてなし、市長と議長にもお会いいただきました」と語る。同市国際課の山本修司課長は彼の日常生活に気を配ってくれただけでなく、毎週末には車で曲さんをあちこち案内し、東日本の各地を回ってきた。アジア関係を担当する水谷宗平さんもよく曲さんを世話し、彼のために通訳を手配した。次第に、曲さんは山本さんと水谷さんと良い友だちになった。2010年、水谷さんが洛陽へ観光に来た。曲さんは彼を連れて洛陽の観光スポットをすべて回り、地元の味をたっぷり楽しんだ。

2012年6月、学生ホームステイ訪問団が洛陽へ来た。彼らは水谷さんから曲さんと連絡を取り、日本の学生に美術についての活動を手配してもらいたいと依頼した。曲さんは同校の実習本部と連絡をとり、日本人学生に唐三彩の手作りを経験させた。「彼らは作品の構想を描き、手作りに挑戦した。多くの学生は陶器の上に自分の名前を刻みました。これこそ世界唯一の唐三彩ですよ」と、曲さんが語った。

現在、曲さんは洛陽と日本、特に岡山に関する情報に関心を持ち、これがすでに彼の生活の一部となっているそうだ。「自分の行動を通じ、洛陽と岡山のためにできる限り力を尽くし、中日両国の民間交流を促進するために力を入れたいと思います」

 

人民中国インターネット版 2013年1月28日

 

   <   1   2   3  

同コラムの最新記事
中国─日本 友好の絆⑩ 洛陽
中国─日本 友好の絆⑨ 鄭州
中国─日本 友好の絆⑦ 瀋 陽
中国―日本 友好の絆⑤ ながさき
中村法道・長崎県知事インタビュー 長崎は「西」に向かって発展する