植野友和=文
ソファーの上で気持ち良さそうにくつろぐ白猫のにゃん吉(写真・金知暁/人民中国)
猫にだって個性がある
犬派、猫派という言葉がある。要はどっちが好きかという話なのだが、これはその人の個性に関わるテーマだと思っている。犬は愛情表現を全面に出してきて、言葉は通じないがそれなりに飼い主の言うことも聞く。それに対し、猫は気まぐれで、空腹なときやヒマなときにはなつくが、飼い主に用がないときは意に介さない。持論では、人との触れ合いに積極的な方には犬派、内向的な人は猫派が多いと感じる。そして、自分は圧倒的に猫好きであり、内気な変わり者という自覚も持っている。
ペットを飼ったことがある方なら分かると思うが、動物にも人と同様、個性がある。やんちゃな子、優等生タイプの子、はたまたまるで引きこもりのようにおとなしい子などさまざまだが、わが家の猫は自分のことをライオンか虎と思っているのではないかと思うほど気性が激しく、手がつけられない暴れん坊である。
また、日本と中国では人の気質に違いがあるように、猫も生まれ育った自然や風土の影響を受けるのか、性格に特徴が現れる。これは全くの自分の持論であり、信じない方もおられるだろうが、北京で3年暮らして日々野良猫を観察してきた経験から言えば、こちらの猫は感情表現がストレートである。また、なかなか人に慣れないが、一度心を許した相手にはとことんなつく。何かしら中国の人々と共通するものを持っていると感じられるのだ。
そもそも私が猫と暮らすようになったのは、けがをした子猫を小区(団地)内で見掛け、保護したのがきっかけだ。最初はまさに「借りてきた猫」といった様子でおとなしかったが、それから1年たった今では堂々たる家のあるじであり、寝ているところを起こしたりした日には本気で怒り、噛み付いてくる。そうかと思えば退屈すると、真夜中であっても遊んでくれと鳴き出す。それもニャーニャーといったかわいげのあるものではなく、咆哮と言うのがふさわしい。わが家は4階にあるのだが、階段を上がっていくと2階くらいで「アオオオオ!」という鳴き声が聞こえるほどだ。
暮らしで感じるおおらかさ
これが日本であれば、ご近所から苦情が来るのは確実。ところが中国の人々はやはり度量が大きく、猫の鳴き声くらいではクレーム沙汰にならない。また、小区内には野良猫がたくさんいるが、おばあさんや子どもがエサをあげていても文句を言う人はまずいない。これまた日本だったら確実に「家の前にウンチをされた」などと騒ぐ人がいるはずだ。人によって感じ方は同じではないだろうけども、自分はこのおおらかさこそ中国の魅力の一つであり、何かと窮屈な日本に比べ、この国が実は意外と暮らしやすい理由だと思っている。
そういうわけで、中国での生活に馴染み、猫と日々楽しく暮らしている自分には、あまり悩みというものがない。唯一困っていることと言えば、猫が部屋で暴れ回るせいで、備え付けの家具が傷だらけになってしまったことだ。甘い考えかもしれないが、大家さんもまた中国の人々特有の広い心で「そんなの別にいいですよ」と言ってくれることを、自分はひそかに期待している。
元野良猫のせいか気性が激しい
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