植野友和=文
中国で暮らす日本人のうち、旅行好きの方の多くが一度は抱く夢がある。それは、「全ての省・自治区・直轄市」を訪れること。日本にも47都道府県制覇を目指す旅人がいるが、その中国版と捉えればよいだろう。実際、筆者の周りにいる在中邦人の中には、これにチャレンジしている方も、すでに達成した方もいる。かく言う自分も現在までに半分くらいの省は巡っているのだが、あちこちを旅するほどに、あることに気付かされる。すなわち、「各省・自治区・直轄市に何度か行ったくらいでは、その地の全ては語れない」という厳然たる事実だ。
中国は広大な国であり、一つの省の人口や面積、経済力などが、場合によってはアジアや欧州の1国に匹敵する。どの省であれ、どこか1〜2都市の「点」を訪れただけでは省全体、つまり「面」を知ることはできない。旅のモチベーションとしての「全省制覇」は否定しないが、中国とは極めて多様性に満ちた国であり、省都や観光都市を訪れるだけでなく、各都市や町、さらには鎮、郷、村を旅し、それぞれが持つ個性や魅力に触れるべきなのである。
さて、なぜ本稿をこの話から書き始めたかと言えば、筆者自身も最近、中国の地方を旅した際、己が固定観念にとらわれていたことに気付かされたからだ。
今年の夏、とある機会を得て江蘇省連雲港市を訪ねた。その出張案件を聞いたとき、パッと頭に浮かんだのは、「まあ、江蘇省は行ったことがあるし」という考え。自分の頭の中に存在する「行ったことがある省・自治区・直轄市地図」に変更なしといった思いを抱いた程度だった。要は、連雲港も江蘇省の一部なのだから、過去に行ったことがある南京や蘇州、無錫と似たような感じなのだろうと勝手に想像していたのである。
その予想は、いい意味で裏切られた。どこまでも青い海と山の緑、歴史ある港湾都市ならではの独特の文化、海に抱かれた土地で暮らす人々が持つ開放の気風、そして非常に整備が行き届いたコンテナ港と鉄道インフラ……端的に言って、連雲港は自分が知っている江蘇省のイメージとは全く異なる土地だった。
連雲港の歴史は古く、かつて「海州」と呼ばれたこの地は、魏晋南北朝時代の詩人・陶淵明によって「在昔曽遠遊、直至東海隅」と歌われ、「東海第一勝地」(東中国海一の景勝地)と称されてきた。また、古代より海を通じた交易や文化交流が盛んに行われ、唐代には新羅から移り住んできた人々が定住して商業などに携わり、日本からは慈覚大師円仁がこの地を訪れ、仏法を学んだと伝えられている。
そのような中日韓の交流は今日でも盛んで、特に物流面では江蘇省第一の港、さらには中国でも指折りの港湾都市として、連雲港は日本や韓国の各港とつながっている。加えて、連雲港は国際定期貨物列車「中欧班列」のターミナルでもあり、遠くは中央アジアや欧州ともリンクしている。このように連雲港とは海と陸のシルクロードが交わる重要な拠点で、他にはない地理的優位性を持っているのである。
連雲港にはいくつもの特色があり、物流・交易は極言すればその一つにすぎない。筆者が個人的に最も心ひかれたのは、華北と華南の良いところをあわせ持つ連雲港の風土や人々の気質、そして何と言っても自然の美しさだ。
現地の方が、「連雲港はちょうど華北と華南の文化の境目に当たる場所なんだ」といったことを話していたが、筆者も全く同じことを感じた。例えば食事一つとってみても、連雲港のグルメは海鮮をベースにしつつ、「北京菜」「山東菜」の濃厚なうまみと同時に、江南のあっさりとした優しい味わいも楽しめる。また、人々の心も華北の質朴さと江南のおおらかさ、つまり両方の良い部分が融合した印象を感じる。
そして、自然に関して特筆すべきは、とにかく海が美しいことだ。同市の有名な観光地である雲台山から見る東中国海は、目が覚めるような青さ。自分にとっては忘れがたい景色だが、地元の人は「週末に子どもを連れてここによく来るんですよ」と言っていた。
連雲港の人々は都市生活を送りながら、いつでも海や山に親しめる。それは何物にも代えがたい豊かさであり、お金では買えない財産だろう。江南の水郷の落ち着いたたたずまいも素晴らしいが、古来、海と共に栄えてきた連雲港の風情も実に魅力的で、江蘇省と一口に言っても各地にそれぞれの美があるのだなと改めて思った次第である。
広大な中国にはあまたの都市があり、それら一つ一つに特色がある。伝統や文化、産業、人々の気質に至るまで、全てが一面的ではありえない。地域間の格差解消や国土の均質な発展、さらには共同富裕が推し進められる中、各地の個性がしっかりと保たれているのみならず、むしろその個性を伸ばすことで成長の後押しとしているのである。
中国在住の邦人の方ならともかく、日本に住んでいる方が中国を訪れるとなると、旅程の中で訪問可能な都市にはどうしても限りがあるだろう。それでも是非、できることなら地方にまで足を伸ばしてみていただきたい。南京や蘇州を訪れただけでは江蘇省を語れないように、北京や上海を見ただけでは、到底中国という巨大な国を論じることはできない。自分自身への戒めの意味を込めつつ、そのようなことを皆さまにお伝えして、本稿を締めたいと思う。
海に臨む連雲港(写真提供・連雲港市連雲区党委員会宣伝部)
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