植野友和=文 顧思騏=写真
中国では近年、農村振興の進展により、地方の村々が活気を取り戻している。その中で大きな役割を果たしているのが地元の人々、とりわけ都会からふるさとに戻って起業・就業する若者たちだ。
日本では農村の過疎や高齢化が長年大きな問題となっており、かつては中国も同様の事象が見られたが、ここ10年ほどで都市で暮らす人々の農村へのUターン、Iターンが増加の一途をたどっている。なぜ中国の若者は農村に戻ることを選ぶのだろうか? その背景を調査すべく、筆者は河北省張家口市の蔚県を訪れた。
北京から高速道路で約3時間。広大な中国のスケールから言えば「隣町」と言っても良さそうな距離感だが、気候や風土にはかなりの違いがある。筆者が訪問したのは春節(旧正月)前だったが、すでに春の兆しが感じられる北京に比べ、周囲を山に囲まれた蔚県はまだまだ冬の盛りといった印象。また、明代・清代の建物がよく保存されている暖泉鎮をはじめとして、蔚県には数多くの歴史的建築物が点在し、郊外の古城などを訪れると門前の石畳には深いわだちの跡がそのまま残っていた。さらに、この地では独特の切り紙細工文化が今なお受け継がれている。それらを文化観光のリソースとし、蔚県は「村おこし」で成功を収めているのである。
もっとも、いくら歴史と文化があったとしても、農村振興においては観光資源を現地の人々の増収につなげるための取り組み、さらに言えばそれを支える人的リソースが必要だ。
「伝統、そして文化を守る。誰かが戻って、引き継がなければいけない。私たちがやらなければ誰がやるんだ、そう思って自宅を改造し、切り紙細工のアトリエを始めました」
そう語るのは、都会の大学でアニメーションを専攻後、ふるさとの蔚県に戻って切り紙アーティストとして大成した周利偉さんだ。代々切り紙細工をなりわいとする家に生まれた周さんは、第4代の継承者。もっとも、家族は周さんが切り紙細工のアーティストになることを、当初は望んでいなかったという。
「大学を卒業後、切り紙細工の会社を起業すると決めてふるさとに戻りましたが、両親は私に安定した仕事に就いてほしかったんですね。特に祖母は、直接的には言わないのですが、私が切り紙に集中していると隣で、どこそこの子どもはいい就職先を見つけた、誰それはいい仕事に就いてこれだけ稼いでるといったふうに、婉曲的に言うのです。それでも『堅持就是勝利』(継続こそが勝利)と考え、切り紙の仕事を続けました」
そうしてたゆまず努力を続けた結果、転機が訪れた。7カ月の時間を費やし、北京冬季オリンピックをテーマとする雪の結晶をモチーフとした大作を完成させると、家族の評価は一転したのである。祖父母、両親もまた、切り紙細工の継承者だ。作品を見て、周さんの切り紙アーティストとしての実力と才能を認めたということだろう。
「私は幼い頃から絵を描いて育ち、河北省での絵画の試験はトップでした。それに、私たちの家族には長く切り紙に携わってきた歴史があります。ですから、必ず成功できるという自信がありました。また、私は切り紙を通じて自分の感情を表現できると信じていますし、切り紙によってより多くの物語を伝えたいと思っています。中国の伝統文化、私の人生、私の時間を切り絵で伝えたい、それが私のやりたいことです」
このように地元で夢をかなえた周さんは、今ではアトリエで多いときには月60人を雇い、現地の人々に就業の機会をもたらしている。それを可能にしたのは本人の強い信念に加え、地元政府の手厚い支援である。
「地元政府が設けた若者の起業促進プラットフォームがあり、それを利用してビジネスを始めるに当たりローンを受けることができました。3年間で10万元、利子はありません。会社を立ち上げたばかりの頃は困難続きでしたが、今では旧暦の大みそかまで毎日残業という忙しさです。もちろん大変ですが、この仕事はやればやるほど好きになるし、幸せな気持ちになります」
蔚県、ひいては中国では、地元に戻って成功をつかむ人々が近年特に増えている。周さんのように大学卒業後すぐにふるさとで起業をする人もいれば、都会で一定期間働いた後、その中で得た知識や経験を地元で発揮する人もいる。若者が地元に戻る決断を下せるのは、そこにチャンスがあるからだ。そして、そのチャンスを生み出しているのは政策的後押しである。
農村振興は一朝一夕で成し遂げられるものではない。若者をはじめとする地元の人々のたゆまぬ努力、政府の強力な支援、そして人々の郷土愛。それらが一体となって中国の農村振興は「堅持就是勝利」を成し遂げている。
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