自動車産業に大変化の兆し

2019-05-20 13:27:01

陳言=文

1984年、筆者は中国代表団に随行して初めて訪れた日本で、絶えず流れる自動車の列を目の当たりにした。夜に高層ビルから東京の街を見下ろすと、自動車が連なって川のようにとうとうと流れていた。道路まで近付いて、ガソリンの匂いをかぎたくてたまらなかった。当時、工業化は中国人にとってあまりに縁遠いものだった。中国が世界で最も重要な自動車生産消費国になるとは、あの時代の中国や世界の状況からは、想像もつかないことだった。

中国は自国の自動車産業の発展に大きな力を注ぎ、まずは開放によってその発展を実現した。さらに「外商投資法」の公布によって、再び中国は変わり、自動車業界には大きな変化が訪れようとしている。

自動車製造ラッシュの開始

東アジアに目を向けると、工業技術が最初に発展した日本と韓国は、本国からの単独出資(6)という方法によってその自動車工業を発展させた。

多くの日本の自動車メーカーには、外国ブランドと提携を行っているものもあるが、ブランドと技術は基本的に独立した状態にある。日本は過去数十年もの間、アジア最大の自動車消費国の一つであったが、欧米のメーカーが日本に合弁で工場を建てた、あるいは日本企業が欧米の企業と合弁で工場を建てたという話は聞かない。外国製自動車のほとんどは日本で高価格帯に属する。日本企業が生産する車は十分に安く買えるので、外国製自動車が日本に進出しづらくなっている。

韓国の自動車工業は日本より出遅れたが、その発展はより集中したもので、少数のブランドが韓国市場を独占し、外国製自動車を韓国に輸出することは、日本市場と同様に容易ではなかった。

筆者が日本を訪れた80年代は、中国の状況が今とまるで違っていた。筆者が随行した代表団は日本のメーカーに中国の自動車生産量を紹介したが、その頃の中国の自動車業界はトラックの生産を主としていて、全国の生産台数は月産31万台を少し上回るくらいで、乗用車は月産5000台余りにすぎなかった。しかし代表団が訪れた日本企業は、月十数万台以上の乗用車を生産していた。

外国であふれんばかりの車を見た中国人は多くを語らずとも、自動車は中国において巨大な市場であると悟った。中国の各地方は先を争って自動車プロジェクトに着手し、一時期には、ほぼどの省にも自動車企業があり、一部の省の各市各県では一気に自動車関連産業が増えていったのである。

こうした乱立に対し、行政的手段を取る必要が当然出てくる。80年代後期になると、自動車製造リソースはいくつかの大工場に集約されるようになった。中国はこうした大工場により自動車強国の夢を実現しようとしたのである。

合弁企業で中国市場開拓

中国の消費者は、広汽集団(広州汽車集団)と合弁している各企業およびその製品をはっきりと区別できる。

例えば、広汽集団には広汽三菱、広汽豊田、広汽本田、広汽日野など多くのブランドがある。中国では多くの車に二つのエンブレムが付いており、広汽のマークの隣に三菱あるいはトヨタのマークがある。

広汽本田汽車有限公司は、広州汽車集団公司と本田技研工業株式会社が共同出資して組織し、98年7月に設立した合弁会社で、双方が50%ずつ株式を所有し、提携年数は30年となっている。広汽本田設立後の2004年9月、広州汽車集団股份有限公司とトヨタ自動車がそれぞれ50%の出資をし、提携年数を30年とする広汽豊田汽車有限公司を設立した。それから、広汽と日野が07年に同じように合弁企業を設立した。

三菱自動車はどのように広汽集団に加入したか、広汽三菱の幹部が教えてくれた。三菱自動車は02年に長豊汽車と提携し「パジェロ」を生産したが、06年に三菱が東南汽車の株式を買収した後、東南汽車との提携を始めた。その後、東南汽車が広汽集団に買収されたため、三菱自動車もまた広汽集団の一員になったというわけだ。

中国の自動車ブランドは数が厳格に制限されている。外国の自動車企業は、中国で発展しようとすれば、中国メーカーと提携し、中国と外国の企業がそれぞれ50%の株式を持ち、中国市場で共同経営をする必要がある。従来の合弁先と提携できなくなった外国の自動車企業は、中国の自動車企業グループがその合弁企業を買収した際に、その企業と共に大型自動車グループに加入するチャンスがある。

大型自動車グループに入りさえすれば、外資系企業はよりスピーディーに発展することができるとも言える。筆者は3月末に広汽三菱汽車を取材した際、次のような情報を得た。広汽三菱の17年度の販売台数(中国で生産した自動車と日本から輸入した自動車を含む)は12万台だった。昨年、中国の自動車業界の発展はすでに成熟段階に入り、全体の販売台数が下がっていたのにもかかわらず、広汽三菱の販売台数は14万台にまで増加した。「われわれは昨年11月にエクリプスクロスという新車を投入したので、今年の販売台数は引き続き増えるだろうと思います」と、その幹部は語った。

制限撤廃で大変化が起きる

「外商投資法」が実施されれば、今後の自動車業界には巨大な変化がもたらされる。かつて中国における自動車生産は、中国企業との提携が必須であったが、その方法が大きく変わるだろう。

「外商投資法」発表前、国家発展改革委員会は昨年4月17日に、中国は18年に特殊用途自動車新エネルギー自動車の、20年に商用車の、22年に乗用車の外資出資比率制限(7)をそれぞれ撤廃し、同時に、外資系自動車メーカー1社につき中国における合弁企業が2社を超えてはならない、という制限も撤廃すると発表した。5年の移行期を経て、自動車業界では全ての外資出資比率制限が撤廃されることになる。

中国の自動車業界は大きな情勢変化に直面する。広汽集団は今年4月1日に香港で18年度業績発表会を開いた。同集団の曽慶洪理事長は、広汽集団は自動車業界の外資出資比率制限の順次撤廃にどう対応するのかという問い掛けに対し、「現在、全ての提携パートナーは広汽との協力を深める意向を示している。間もなく外資側との提携深化プロジェクトを発表するつもりで、現在準備中である」と明らかにした。

広汽集団の外資提携先にはトヨタ、ホンダ、三菱、日野など日系自動車企業が多い。発表会の翌日には、日系パートナーが日本側の出資比率を増やす交渉を広汽集団と行っているといううわさが中国のネットで流れた。

ネットにはうわさがあるが、日系自動車メーカーは現在のところ、出資比率を増やす要求を公開していない。だが筆者がある日系自動車メーカーの幹部と話をした際、日本側は合弁企業における自社側の出資比率を増やすか、過半数の株式を保有するかして、最終的に単独出資にしたいと考えていると感じた。「外商投資法」および国家発展改革委員会がすでに明確な規定を出している以上、残された課題は中国側の株主がそれを受け入れるかどうかであり、交渉となればその難度は高いだろう。また、中国側パートナーが持つ中国政府との「コネ」というリソースも、日本側は重く見ている。完全に合弁から脱却し、単独出資の道を進むかどうかは、外資系企業が今後数年間迷うことになるだろう。

しかし、現在の迷いは今後の大勢を妨げることにはならない。大勢とは、合弁、特に外国側が過半数の株式を保有できない合弁という提携方法に、必然的に変化が生まれるということだ。まず、世界の経済大国の製造方法を見渡しても、日本や韓国の自動車業界を見ても、外国資本参入の主流な方法は合弁ではなく単独出資となっている。海外企業が日本や韓国に参入する場合は主に販売が目的だが、中国では生産目的で参入する。しかし、中国でも将来単独出資が主流になる。さらには、中国側パートナーと中国政府との「コネ」については、今後見直されることになるだろう。中国企業自身に強大な研究開発生産管理および販売能力がなければ、「コネ」にも意味がなくなり、外資系企業と中国企業の関係自体に大きな変化が生まれることになる。特に中国政府が対外開放を繰り返し強調する現在において、その傾向はより強い。

「外商投資法」の実施により、中国の自動車業界の状況は今後数年で大きく変化するに違いない。

人民中国インターネット版 20195

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