【貧困脱却 決着に加速】 親友になった「第一書記」

2019-08-08 10:12:32

西安中交第一公路調査設計研究院社の姚聡学さん(38)は、昨年10月、怒江州貢山県の丙中洛鎮にある秋那桶村に派遣され、駐村(村に常駐する)第一書記と貧困救済作業チームのリーダーに就任した。

「村に来たばかりの頃、仕事の難しさは私の予想を超えていました」と姚さんは本音を明かす。貧困救済の第一線で働いた経験がなかった彼にとって、村での仕事は煩雑で、なかなか手を付けられなかった。「半年余りの試行錯誤を経て、『国営企業の社員』から『第一書記』という役柄にようやく切り替えられた感じです」と振り返る。この経験によって、彼は困難に直面した際、より強い責任感を持って、より深く考えられるようになった。そのしっかりとした働きぶりを見た秋那桶村の村民も彼を認めるようになった。

 

ごみの回収を手助けする姚聡学さん(右)(写真馬力)

教育が子どもの運命変える

秋那桶村は、怒江大峡谷の最北端にあり、チベット自治区に隣接する、雲南省北西部の最も端の行政村であり、深刻な貧困地域の一つである。

秋那桶村の一般的な農家の子どもである和麗雅さん(13)は、スポーツの才能があったため、雲南省体育運動職業技術学院に進学して、専門的な訓練を受けるチャンスを得た。

省の学校で勉強し訓練を受けられることは、和さんと彼女の家族にとって、大変喜ばしいことだったが、毎月500元かかる生活費が一家を悩ませることになった。「和麗雅さんの家には、目が不自由な祖母と丙中洛鎮で学校に通う兄がいて、家計は主に両親のわずかな収入に頼っています。もともと家計が苦しかったところ、昨年の年末には、家が火事に見舞われたのです」と和さん一家の状況に詳しい姚さんが説明してくれた。「これは子どもの運命を変えるチャンスだ。絶対に諦めてはいけない」と考えた姚さんは、和さんを助けるために、自分が所属する会社に積極的に助けを求めた。

姚さんの働き掛けによって、彼の同僚の馮傑さんが、和さんに経済的援助を提供することになった。「学校での生活費として、和さんに毎月500元を援助し、彼女の家庭の負担を減らしています」。今では、たまに和さんから送られてくる学校で撮った写真が、姚さんの心を温めている。

山間部の子どもは山から出て、より良い教育を受けることを通じて、自分の運命を変えられる。これは彼が秋那桶村で働くようになってから、最も強く感じたことだ。「知識が運命を変えると信じています。私も農村の出身です。子どもたちが勉強を通して、より素晴らしい未来を手に入れることを願っています」

村民に救済の温もり伝える

姚さんと貧困救済作業チームの奔走で、今年、村民の張玉新さんは3000元の臨時援助金を、障害のある高齢者の余秀英さんは5000元の臨時援助金を、貧困大学生の李麗莎さんは4000元の希望プロジェクト奨学金をそれぞれ受け取った。貧困救済の援助金が次々と困っている人々に渡され、秋那桶村の村民はこの駐村第一書記に一目置くようになった。

駐村第一書記は、的確な貧困対策(5)を実行に移す中核となる力である。現在、中国全土で20万人近くの駐村第一書記が貧困救済の第一線で奮闘している。彼らはしっかりとした仕事ぶりで、貧困脱却の難関攻略を成し遂げるための「ラストワンマイル」を歩んでいる。

昨年10月に秋那桶村に来て以来、姚さんと貧困救済作業チームのスタッフは奮闘し続け、「貧困脱却を実現しなければ、ここを離れない」という誓いを心に刻んでいる。

「村に来たばかりの頃、貧困の状況を全体的に把握するため、われわれは秋那桶村の全貧困家庭を訪れました。彼らが貧困に陥った根本的な原因を探り、村の貧困脱却の難関攻略に際しての課題を研究したのです」と姚さんは語る。短期間で多くの仕事をこなすため、彼は妻や子どもと毎晩ビデオチャットで話すという約束すら守れなかった。

村全体の実情を深く把握した上で、貧困家庭の状況を細かく管理するため、姚さんは、書類作りの仕事に協力したり、ピンポイントの救済計画や年度計画を立てたり、上司に積極的に仕事上の問題を報告したり、村民の日常生活の悩みを解決したりした。

半年余りたって、姚さんは「よそ者」から秋那桶村の人々の「親友」になった。「村民に自分の家族のように接して初めて、彼らは心を開いてくれます。第一線の仕事は、人々との心の交流がなければ、うまく進められません」。

姚さんの先導の下、秋那桶村は観光産業と特色のある農業の発展に力を入れた。これにより、徐々に貧困脱却事業の成果が現れてきた。「現時点で、まだ貧困から脱却していないのは61世帯、187人です。村全体の貧困脱却を一日も早く実現させるため、引き続き頑張らなければなりません」と姚さんはきっぱりと言った。 姚さんは言う。「5年後、秋那桶村は必ず大きく変貌しています。その時、息子を連れてきて、自分がかつて奮闘した『戦場』を見せながら、ここで働いていた頃のことを聞かせます。そうすることで、息子に『幸せとは奮闘によって得るものだ』という言葉の本当の意味を知ってもらいたいのです」(馬力=文)

 

人民中国インターネット版 201987

 

 

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