【貧困脱却 決着に加速】 素晴らしい未来へ第一歩を

2019-08-08 10:18:07

 

中国外文局の高岸明副局長(右)率いる記者団に、同地の貧困脱却の状況を説明する高徳栄元県長(中央)(写真馬力 

昨年末、雲南省の怒江リス族自治州貢山トーロン(独龍)族ヌー(怒)族自治県(以下、怒江州貢山県)で、トーロン族の人々全体約4100人が貧困から脱却し、雲南省の九つの「直過民族(新中国成立初期に原始社会から直接、社会主義社会に入った民族)」のうちで、真っ先に貧困脱却を実現した民族となった。彼らは習近平総書記に手紙を送り、この吉報を報告した。今年4月10日、習総書記から返信が届いた。手紙には、貧困脱却の吉報を知ってとても喜んだこと、貧困脱却は第一歩にすぎず、より素晴らしい日々はまだこれからだ、ということが書かれていた。また、より幸福で素晴らしい生活を送るために引き続き団結して奮闘するよう、習総書記は彼らを励ました。

貢山県の高徳栄元県長は次のように語る。「われわれは民族全体の貧困脱却を実現しましたが、引き続き奮闘し、生態環境をしっかり守り、教育に力を入れ、ふるさとをより良く整備していかなければなりません。素晴らしい日々はまだまだこれからです」

最貧地区がソウカで発展

トーロン族は人口の比較的少ない少数民族の一つで、主に雲南省貢山県独龍江郷に居住している。山が高く、谷が深く、過酷な自然環境だったため、ここはかつて中国で最も貧しい地区の一つだった。しかし同時に、年間降水量が豊富で、土壌が肥沃で、日当たりが良く、ソウカ(草果)栽培に恵まれた自然環境を有していた(2)。ソウカには独特で刺激的な強い香りがあり、乾燥させた果実は中華料理の調味料や生薬として使われる。「近年、国内でソウカの需要が増えたことが、農家の栽培面積の拡大を直接けん引しました」。貢山県党委員会宣伝部の張軍常務副部長は、独龍江郷ではソウカを計6万8000ムー(約45001ムーは約0067)植え、同地独自の優位性を利用した産業になっていると説明する。

張副部長の説明によると、この数年でソウカのほか、ジュウロウ(薬用植物)、独龍蜂、独龍牛、独龍鶏といった独龍江郷の特色ある薬草の栽培や畜産業も同地全体で発展。これらの産業は、トーロン族の人々が貧困から脱却して裕福になるため増収の道を広げたという。昨年、郷全体の総収入は2859万9600元で、農民の総所得は2517万2200元、農民1人当たりの純所得は6122元(同年の全国の1人当たり平均可処分所得は約2万8000元)だった。1人当たりの収入は2017年と比べ235%増加した。

独龍江郷では、各家庭がソウカを栽培することは、もはや目新しいことではない。1戸で少なくとも数十ムー、多いと数百ムーものソウカを栽培しており、すでに同地の人々を豊かにする産業になっている。昨年は、ソウカ栽培による利益だけで743万元に達した。張副部長は、2、3年後、郷全体のソウカ栽培による収入は今の数倍になるだろうと予測している。

村民のソウカ栽培の収益は、十数年にわたって栽培技術の指導に尽力し続けてきた高徳栄元県長抜きに語ることはできない。「最初、皆の意欲は高くありませんでした。ソウカによる利益は短期間では上がらないからです」。独龍江郷の孔玉才郷長によると、高元県長はソウカ栽培の普及のために自腹を切ってモデル基地を整備し、無料で村民を育成し、それから彼らにソウカの管理を任せたという。3年たって実がなると、彼は地元の人々を集めて収穫を見学させた。すぐに郷内の6村のうち5村がソウカを栽培するようになった。郷内のソウカ加工工場もインフラ整備を終えた。

「習総書記は返信の中で、素晴らしい日々はまだこれからだと書かれていましたが、素晴らしい日々は待って得られるものではなく、奮闘してつくり上げるものです」。いかにして村民の収入をもっと増やすか、習総書記の返信が届いてから現在まで、高元県長は考え続けている。すでに定年して数年たつが、彼が最も気に掛けているのは、やはり村民が貧困脱却し豊かになることだ。

ソウカ栽培研修拠点で高元県長は、非常に大きなジュウロウの根茎を手で掘り起こし、「これがトーロン族に富をもたらす、もう一つの宝です」と誇らしげに見せた。ジュウロウは雲南白薬(止血効果などで知られる雲南特産の薬)の重要な原料で、経済的価値が非常に高い。

独龍江郷最北端の迪政当村は、標高が高く霜が降りない期間が短いため、ソウカ栽培が難しい。ここで野生のジュウロウを見つけた高元県長は、まず自分が専門家から栽培技術を学び、手ずから住民に技術を伝えた。14年、同村の8世帯の党員による試験栽培が成功。今では村全体で栽培面積が100ムー近くになっている。昨年、ジュウロウ1当たりの買い付け価格は1200元前後だった。引き続き栽培面積を増やせば、これだけで少なくない収入になる。

「完全に保たれている独龍江の生態環境は、祖先が残してくれた大きな財産です。われわれはまず、それをしっかりと守らなければならない。そうしてこそうまくやっていけるのです」。独龍江の将来の発展には、山林に関する産業の発展と農村観光の発展が必要だと高元県長は言う。今のところ、同地のインフラ整備は不十分で、観光客の受け入れ能力は追いついておらず、サービス意識もまだ高くない。だが、彼は「農村観光の発展は、独龍江の持続可能な発展の道です。目先の成功や利益を焦ってはいけません。内在的な力を鍛えれば、遅かれ早かれ発展するのですから!」と自信を見せた。

現在、独龍江郷の山林における産業はある程度の規模を備えている。孔郷長の紹介によると、同郷では昨年末時点で、ソウカ6万8000ムー、ジュウロウ1723ムー、アミガサダケ403ムー、黄精(カギクルマバナルコユリ)40ムーを栽培し、独龍蜂や独龍牛、独龍鶏もすでに農村電子商取引の商品リストに入っているという。

竹の家からレンガの家へ

28歳のトーロン族の青年、唐小聡さんと妻は、独龍江郷馬庫村で「農家楽(農村レストラン兼民宿)」を経営している。収入は月平均5、6千元。「生活するのは問題ではなくなりました。暮らしはきっともっと良くなっていきます」と二人は見つめ合って笑う。

幼いころ、唐さんは家族と山の竹造りの家に住んでいた。隙間風が吹き込み、夏は雨漏りし、冬は暗くて寒かった。県城(県政府所在地)にある中学校に入るまで、唐さんは白米を食べたことがなかった。家から県城までは徒歩で3、4日。冬は大雪で山道が封鎖されるため、冬休みになってもそのまま学校に寝泊まりするしかなかった。「今では、自動車道とトンネルが開通し、さらにインターネットが村の人々と外の世界を結び付けています。ネットショッピングで外の商品が入ってくるし、村の農産物も外に売れるようになりました。独龍江郷の最近の発展と変化は興奮するほどです」

子どもの頃、数年ごとに引っ越していたことを彼は覚えている。開墾する土地を求めてのことで、生活は極めて不安定だった。「最初の引っ越しでは、山の中腹にある竹造りの家に移りました。2回目の引っ越し先は自動車道路沿いにある木造の家で、3回目は木とトタンの家。4回目は14年のことで、いま住んでいる馬庫村に引っ越してきました」。この引っ越しで唐さん一家は、れんが造りの家に入居した。3LDKで、キッチンが広々としている。「費用は全て政府が出してくれました。自分では少し体力を使ったくらいですね。両親は、このような立派な家に住めるなんて夢にも思わなかったようです」

張副部長の説明によると、雲南省は10年から、独龍江郷の全トーロン族を貧困から脱却させるプロジェクトを展開し、郷の状況は極めて大きく改善した。14年、独龍江の両岸に集中移住先となる団地26カ所を設け、そこに住宅1068戸が建てられた。こうして、独龍江郷のトーロン族の人々全員が竹造りの家や木造の家から離れ、新しいれんが造りの家に入居した。「安居(低所得者向けの安価な住宅)プロジェクト」は、独龍江郷の全村民の居住問題を解決した。

以前、外の地域で学校に通ったり、兵役に就いたりした経験により、唐さんの視野は広がった。「食事は、衛生的でおいしいだけでなく、価格も適切でなければいけません。来店客に好印象を与えてこそ、発展が持続できるのです」。彼の店はこれまで広告を出したことはない。食事に来た客のほとんどは、友人の口コミを通して店を知ったという。

唐さんには、かわいい一人娘がいる。「大きくなったら良い大学に行って、卒業後は戻ってきて、私たちトーロン族のふるさとを担っていってほしいです。その頃、ここは必ずもっと素晴らしい場所になっているでしょう」

残るのは小さな幸せのため

早朝5時、独龍江郷の人々はまだ深い眠りの中だが、川辺にある「麗江軽食店」にはもう明かりがついていた。オーナーの唐佳佳さん(28)と夫の朱光躍さん(34)はもう朝食の準備を始めている。「毎朝5時に起きることは、独龍江に来てからの10数年間、ずっと変わらない習慣です」。唐さんがはきはきとした調子で言った。

08年、17歳だった唐さんは親戚と共に同じ雲南省の麗江から独龍江郷に移り住んだ。「トーロン族の人々は商売をする習慣があまりないので、ここで商売をしている人はほとんどが麗江の出身者です。独龍江郷では全ての店舗で税金が免除されますし、家賃も高くないので、気軽に商売ができます」。そんな彼女がここに残ると決めたもう一つの理由は、現地の人々の温厚さと寛容さだ。

母親と一緒に道端で最初の軽食屋台を開いてから、現在、道路に面した清潔な店舗を持つようになるまで、唐さんが最も強く感じたのは、独龍江郷のインフラ設備と経営環境がこの数年、絶えず改善されてきたことだ。「10年前、商売を始めたばかりの頃は、よく売れ残ったので、三輪車で呼び売りしながら村のあちこちを回りましたが、今は全然違います」。現在、唐さんの店は朝食の種類が豊富で、毎日食べに来る常連客も多いという。

16年、親戚の紹介で、唐さんは6歳年上の朱さんと知り合った。朱さんは誠実で堅実な性格で、二人は気が合ったため、結婚を決めた。結婚後、二人は軽食店を始め、経営は順調だ。「怒江州では今、『美麗公路(美しい自動車道路)』の工事が行われているため、観光客が訪れにくい状況ですが、1年で10万元稼ぐことも問題ありません」

「愛する人と暮らし、かわいい子どもがいて、お金も稼げる。これこそ、よく言われる『普通の幸せ』というものでしょう」。朱さん夫妻はすでに独龍江を第2のふるさとと考えている。「もし今後どれくらいここで商売をするかと聞かれたら、10年は短すぎるし、20年でもきっと足りないと答えますね」。朱さんと唐さんは目を細めて笑った。(馬力=文)

 

人民中国インターネット版 201987

 

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