座談会・中米関係と日本

2024-07-18 11:03:00

1979年1月1日に「中米国交樹立コミュニケ」が発効し、中米両国は正式に国交を樹立した。以降、中国は40年以上にわたって経済建設に注力し、経済のグローバル化の波に深く溶け込み、2010年には世界第2位の経済大国となった。中国の発展は米国や日本を含む国際社会が経済発展を遂げるための新たなチャンスをもたらし、世界の経済成長における中国の平均寄与率は、数年にわたって30%超えが続いている。その過程で、米国を始めとする西側諸国の対中認識は常に変化しているが、「中国脅威論」や「中国崩壊論」、さらには「中国ピーク論」といった否定的な論調が後を絶たない。 

国交樹立45周年を迎え、中国と米国はどう付き合うべきなのか。緊密な関係にある日本は、両国の駆け引きの中でどのような役割を果たすべきなのか。中日両国の識者5人が語る。 

共通目標は反覇権 

木村知義 まず歴史的観点から、中米国交樹立を歴史的にどう捉えるのかについてお話しください。 

田代秀敏 国交樹立当時の私は未成年でしたから、素朴な印象をお話します。最も驚いたのは、リチャードニクソンが中国を訪れるとテレビで宣言し、日本中がひっくり返るような大騒ぎになったことでした。数日後、自由民主党の長老たちが総理官邸に集まり、総理大臣の佐藤栄作氏と話し合っている様子が報道されました。中庭に出てきた元総理大臣の岸信介氏にマイクが殺到しましたが、岸氏はニヤニヤ笑いながらタバコをくゆらしているだけ。答えようにも何も答えられなかったのです。 

それを見て、はしごを外されるというのはこういうことなのだと実感しました。当時の沖縄には、上海を射程に収める「メースB」という核弾頭が搭載された米軍の巡航ミサイルが配備されていました。それだけ米国に協力を尽くしたのにいきなり中国と手を組むというのですから、日本の権力者たちが茫然自失したのは言うまでもありません。 

しかし米国が投資先として最も向かいやすいのは、巨大な空間を持つ中国と考えるのは自然で、体制の違いなどを全部乗り越えて国交樹立を果たしたのは、至極当たり前のことなのです。いま日本の一部が妄想のように期待する米中デカップリングなども、米国でポピュリズム(9)に乗った人たちが口にしているだけのことで、できるはずはないと私は思います。 

富坂聰 私も当時は子どもだったので記憶にないのですが、のちに声明の原点であるニクソンショックを勉強し直したときに、印象に残ったことが2点あります。 

一つは国際政治のダイナミズムにおける米中の接近、もう一つは中ソ対立と米国のベトナム戦争からの上手な撤退です。戦後の歴史の中で、これほど見事な外交をやってのけた例はありません。パキスタンを訪れたキッシンジャー氏が腹痛を装って救急車で運ばれた先が空港で、突然中国に現れるというストーリーなど、本当にドキドキします。中米両国の見事な外交手腕がここに見られます。 

国交樹立は国際政治の取引の中で起きたことですから、民意よりも国際政治の力学がかなり優先されました。よって、いまだに引きずる問題があるとも感じています。日本は米中国交樹立では完全に蚊帳の外でしたが、外務省内部では米中が接近するサインはたくさん出ていたと言う話がありますし、香港総領事だった岡田晃さんなどは、著書の『水鳥外交秘話』でも触れています。が、外務省の主流派が情報を握りつぶしたというのです。 

米中国交樹立は国際政治の取引の中で始まったことで、長期的にも世界の繁栄や安定をもたらしましたが、日本においては一般人の気持ちが追いつかなかったことと、権力の中枢が情報を冷静に処理できなかったこと、その2点が非常に印象的でした。 

朱建栄 78年は中国の大学入試が復活した年で、私もこの年に入学しました。10月から12月のことは、今もはっきり覚えています。10月は中日平和友好条約の批准と鄧小平さんの訪日、12月中旬が中米国交樹立の発表、その直後に三中全会があり、中国は改革開放路線を進めるという正式な宣言を行いました。これら一連の流れは二つの方向性を示したと私は見ています。 

一つは、中日平和友好条約で反覇権の条項を盛り込み、旧ソ連の覇権に対するけん制と抵抗という意思を表した「いかなる覇権にも反対」、もう一つは、中国が三中全会で世界の共通市場で自国を発展させていくと示したことです。以降45年間、中国は改革開放やWTO加盟によって世界に入り、世界の共通ルールの下で経済を発展させる道を選びました。  

この「反覇権と一つの世界」という枠を守るという原則でスタートした中米国交樹立が、45年を経た今は米国の国力低下や覇権維持の動きで、全くの逆方向に向かっていると私には感じられます。今までの米国は自称「世界のグローバリゼーションの守り手」だったのが、今はまさにアメリカファースト、あるいは一部の国で小さなグループを作り、自分に都合が良いよう競争者を蹴散らす状況です。 

「中国脅威論」の虚実 

木村 近年、中国崩壊論や中国の行き詰まり、あるいは成長のピークアウトという話題は絶えずありますが、米国の外交問題評議会が発行する『フォーリンアフェアーズ』に掲載された論文「中国経済は成長を続ける――悲観派を惑わす四つの誤解」では、中国経済の衰退は大間違いという論点が出ました。中国を巡る議論は実に振れ幅が大きいのですが、なぜだと思いますか。 

朱 私は二つの側面があると思います。一つは中国の真実や実態の理解をしようとせず、自国の物差しで中国を見ていることです。欧米流ではこれだけの発展はとてもできない今、中国の実態を先入観抜きで客観的に見られるか否かという問題は、この半世紀にわたって常に存在し続けています。 

もう一つは思惑先行の中国観です。中国が弱かった頃はむしろ発展を手伝おうとする機運がありましたが、いざ発展すると内心穏やかではなく、崩壊論や脅威論につながったと私は考えています。この両極端の思考を同じ人やメディアが持ち合わせているのは、内心では中国の発展を望んでいないからではと私は考えています。 

田代 私は中国へのそうした視点を、企業や官公庁でも感じる瞬間がいくつかありました。これは2010年に日中のGDPが逆転して、日本が1969年から掲げてきた「世界第2の経済大国」という金看板が落ちてしまったことも一因でしょう。政治家を含む経済関連の人々にとっては、大きな衝撃だったと思います。 

米英のメディアの中国たたきも、内容は明らかに人種差別です。しかし先進国は中国経済とのカップリングつまり密接な一体化でしか自国の経済を持続できない状況です。例えば北京空港も上海空港もトイレは全部TOTO製だし、エレベーターは大抵三菱エレベーターです。この受注で日本のメーカーはどれだけ大きな利益を得たのだろうと思うのですが、こうした現実は見て見ぬふりです。 

富坂 崩壊論などの論調は、中国と関わる国全てに生まれる一つの「病」なのではないかと私は見ています。今顕著なのは、政経の分離でしょうか。米中摩擦が激しい一方、米国の各企業CEOはこぞって訪中しています。むしろ政経の分離ではなく「利益の齟齬(そご)」というべきでしょうか。いずれにせよ、政治が経済の最大のコストになっている問題は時代を象徴していると思います。 

例えば米国では、中国が政治のイージーターゲットになっていて、共和党と民主党がお互いを罵っていても、最後には中国が悪いからだ、という結論で落ち着いたりしています。もう一つは個人利益です。中国で稼いでいる実態がありながらも、中国をたたくことで政治家には票という利益がきっちり入るシステムになっているのが、両国関係の妨げになっているのだと私は思います。 

進藤榮一 欧米中心だった世界秩序からアジアを中心にした世界秩序への大転換を、米国自身が理解できてないと思います。キッシンジャー氏は巧みな歴史観の下で中国を訪問し、米中国交樹立に踏み出すことで対ソ戦略を見事に展開しましたが、今の米国に第2のキッシンジャーが出てくるかというと、簡単なことではないと思います。米国の知識人、知的メンタリティー、戦略的メンタリティーはもはや過去のものであるにもかかわらず、相変わらずそれにしがみついているのです。 

100年前の孫文の問い 

木村 ジャーナリストの松本重治氏の「日米関係の核心的問題は中国問題だ。よって日米関係は日中関係だ」という文言がしばしば引用されますが、日本はどのような立ち位置であるべきと思いますか。 

進藤 私は国境を越えた地域統合の動きを進めるべきだと思います。以前は東アジア共同体構想が現実化し、日中韓ASEANの間で「モノカネ環境」の自由貿易圏を作り上げていくという構想がありました。しかし米国の働き掛けがあり、日本では安倍政権でつぶされてしまいました。これは国際的な戦略構想の中でつぶれましたが、中国の新たな戦略に日米が協力しないのであれば、ということで、中国は東ではなく西へ向かう形をとって、2013年には海と陸のシルクロードを軸とした「一帯一路」構想を打ち出し、それはコロナ下の4年でより強化されました。 

しかし日本ではそれを中国脅威論に結び付け、米国との軍事同盟を強化するという動きが強まっています。これは全く逆で、歴史の読み違いだと私は思っています。戦争国家の道ではなく、地域協力を強めていくことこそが大切です。 

富坂 今の日本は自己認識の改革をはかる時期に来ていますが、アジアには二つの安定要因があると私は見ています。一つはフィリピンを除く東南アジアです。米中摩擦から上手に距離を置いて利益の追求を図る姿勢は、日本が見習うべき知恵です。もう一つは「一帯一路」で、ゆっくりと効き目が現れています。中国はイエメンのフーシ派が前を通る輸送船を攻撃するため、輸送ルートが使えないといった事態を見越して「一帯一路」を始めたのでは、という記事が『フォーリンポリシー』誌に掲載されましたが、非常に面白い考察だと興味深く読みました。「一帯一路」は危機に対する緩衝材になったり、代替インフラとして機能したりする側面があるように私は感じています。 

さらに視点を変えて「一帯一路」を見ると、別の作用が見えてきます。「一帯一路」は沿線国の全てが安定していないと役に立ちませんから、利益という串を通した、いわゆる「串刺し平和論」としての存在意義があります。沿線国のどこかが戦争を始めれば全てが止まる可能性があるため、「一帯一路」が戦争のストッパーになっている、というのが最近の私の考察です。 

朱 日本の立ち位置は、この100年以上にわたって解決できていない問題だと私は考えています。 

孫文が1924年に当時の神戸女学校で、のちに「大アジア主義」と呼ばれる有名な演説を行った際、「日本がこれからのち、世界の文化の前途に対して、いったい西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城となるのか」と警告を出しましたが、日本は第2次世界大戦に、つまり西洋の覇道に向かって破滅しました。 

戦後日本は反省から平和憲法を守る道を歩みました。しかし中国の台頭や中米摩擦を見た今の日本は、「東アジア」という表現すら避け「インド太平洋」という表現にしようとしたり、4月の岸田首相の訪米では、米国のグローバルパートナーとなったりしています。 

米国が世界の正義の代表ならば、それにも意義があるかもしれません。しかし今まさにジェノサイドが起きているガザの現状を米国は容認しているのです。この半年、ガザで殺された子どもの数は、2019年以降の世界の戦争で殺された子どもの数より多いのです。国連では圧倒的多数が停戦を要求しているにもかかわらず、米国は拒否権を使うなどしていますが、日本はそんな米国とのパートナーシップを重視しています。そんな日本に、日中両国の平和的発展を選ぶことができるのでしょうか。100年前に孫文が発した問いは、今後も問われ続けるでしょう。 

「台湾有事」=日本沈没 

木村 中米国交樹立を振り返る際のもう一つの大きな問題は、台湾問題でしょう。この問題とどう向き合うべきでしょうか。 

朱 台湾問題について、中国は当然ながら核心的利益と位置付けています。台湾のごく少数の独立派へのけん制はもちろん、米国へのけん制という考えもそこには含まれます。 

米国が台湾問題を再三取り上げるのは、海峡両岸や日本などを巻き込んで戦争を起こせば、中国の現代化がなくなるであろうという目論見があるからです。米国が内心最も恐れているのは、中国に全面的に追い越されることです。よって台湾独立などをあおって中国人同士、さらに日本を巻き込んで戦争を起こせば、地域全体が大きな被害を受けはしても、米国にとって最大の脅威である中国の台頭がなくなると考えているのです。 

進藤 米国の研究者も、「台湾有事」は現実的な未来像ではない、ありうる可能性は非常に低いと言っています。例えばウイリアムアンドメアリー大学のグローバル研究所の調査によると、全米354人の研究者、国際関係の専門家のうち、中国大陸は台湾に侵攻するかどうかという問いに「ない」と回答したのは726%という結果が出ています。この結果を見ると、日本の国際問題研究者やジャーナリストは何をやっているのだと言いたいです。 

田代 特に米軍の高官が口にするいわゆる台湾有事論は、軍事予算獲得のためのエクスキューズ(言い訳)にすぎません。米国の財政は現在危機的状況で、連邦政府の債務総額がGDPに占める割合は100%を超えています。これは第2次世界大戦直後の過去最悪期よりも悪い状態です。それなのにバイデン大統領は兆円単位で金をばらまいています。今の米国は世界で最も景気が良いように見えますが、パンデミックのときにばらまいた金のおかげです。しかし最近はそれも枯渇したと連邦準備制度(FRB)は発表しています。 

ですから、これから先、米国政府は財政支出のどこを切るかというと、膨れ上がった軍事支出が当然対象になります。しかし軍人たちはそれでは困るので、「そんなことをすればたちまち中国大陸が台湾に侵攻する」と言うのです。日本の自衛隊もそのおこぼれを預かるような形で、予算が非常に増えました。それを使って自衛隊の長年の懸案である賃金などの自衛官の待遇を良くし、何とか定足数を満たしたいと考えているのです。つまり日米双方にとっての「台湾有事」は、軍事予算確保のための格好の言い訳なのです。これは立派な経済問題と言えるでしょう。 

富坂  私は今年1月に北京と廈門(アモイ)に行き、海を渡って台湾の現場を見て帰ってきたのですが、対岸の福建省は「台湾有事」などといったムードはひとかけらもありませんでした。証券会社にも行きましたが、台湾からの投資はどんどん増えていて、今後も増える勢いです。高速鉄道も福州からアモイまで敷設されています。仮に戦争の意向があれば、こんなインフラはおそらくつくらないでしょう。 

米国にとっては仮に戦争になっても、自国から遠いところなので現実味がありません。その感覚は日本とは共有ができません。「台湾有事は日本の有事」などと愚かなことを言っていますが、そんなことが起きたら「日本の有事」どころではなく日本沈没です。危機を共有できない米国とどこまで歩調を合わせられるのか、地域の利害や自らの立ち位置を考え、紛争を東アジアに持ち込まないでほしい、と明確に言うべきです。まずは、台湾海峡の安定剤である「92年コンセンサス」の順守を頼清徳氏にきちんと働き掛けるべきではないでしょうか。 

人間の安全保障論の復権を 

木村 中国が掲げている「一帯一路」や人類運命共同体は、21世紀以降の新しい世界の秩序の創生のように感じられます。米中の外交安保政策や経済政策に注視しがちな現状を、どのように見ていますか。今後の中米摩擦へのスタンスについてもお話しください。 

朱 習近平主席は人類運命共同体に加えて三つのイニシアチブや世界的な提言をしていますが、「世界の方向性は中国がけん引する」とは言いません。今の中国は新冷戦を避ける方針なので、第一に「一帯一路」を試行錯誤しながら推進し、第二に実績を重ねることで良い信頼を重ね、第三に相手のニーズとの対等な形でドッキングしていくというスタイルをとっています。 

米国は逆で、イデオロギー10)を全面的に出しています。日本では米国流のルールが正しい価値観だと受け止められているようですが、私が提案したいのは、反覇権を盛り込んだ中日平和友好条約と、中米国交樹立の出発点も反覇権であったということを改めて思い出す、ということです。アジアで誰が覇権を試みているのか、どのような行動が覇権に当たるのかということを、真っ向から議論し、人類運命共同体や「一帯一路」の実態を正確に把握し議論することが必要であると思います。 

今、世界には多くの参考例が出ているので、日本にとっても参考にできるものが多くあるのではないかと思われます。例えばASEANの中では、地域の平和と安定、経済発展を優先して米中新冷戦絶対反対を唱えています。また、ドイツやフランスは安全保障や未来を米国でもなく中国でもなく、自らの力でつかんでいくというスタンスをとっています。この姿勢は日本にとっても学ぶ点が多いと私は考えます。 

田代 日中両国の経済関係は切っても切り離せないほど密接ですが、世界ではほとんどの国が同じ情況です。ですから、経済専門紙が中国との対立どころか戦争をあおり立てるような記事をなぜ書くのか疑問です。米国は未来永劫中国に屈しないと、根拠を示さずに自信満々に語る人たちもたくさんいます。これは一種の「敗戦国病」です。 

4月に行った北京で気付いたのは、北海道や東北で次々と閉店しているイトーヨーカ堂が店舗を構えていることでした。四川省の成都に行けば、さらに巨大な店舗が何店もあり、成都の人たちにとって最も誇るべきスーパーマーケットになっています。そうした現実に目を向けずに、長年かけて創り上げた良好な経済環境を壊してしまったら、日本人は日本国内で生活できなくなってしまいます。日本は世界に冠たるような軍事力など持てるはずがありません。しかも経済力もそんなに余裕がありません。そんな国に住む日本人にとって隣国の中国とどう付き合うのかという問題は、自分たちがどう生きるかという問題にも直結します。 

進藤 われわれは対中コンプレックスや対米コンプレックスから脱却し、自前の世界像を持つべきでしょう。米国に付き従い、米国をモデルとする世界像はやめるべきです。 

安全保障を考えるとき、われわれは緒方貞子さんがいみじくも言ったように、軍事安全保障ではなく人間安全保障を大切にすべきではないでしょうか。コロナパンデミックがわれわれに教えたのは、まさに人間安全保障の大切さでした。応分の教育を受け、食事を取ることができ、貧富の格差が相対的に少ない。こうした子どもをきちんと育てられる社会になるべきだという人間の安全保障論を復権させるべく、われわれは努力しなければなりません。「新しい戦前」ではなく、「新しい戦後」をつくり出していく。その道をわれわれは模索すべきだと思います。そしてそこに、ジャーナリズムや知識人の役割があると私は痛感しています。 

人民中国インターネット版

 

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