増え続ける交流ツール

2024-10-31 15:30:00

黄江勤=文  

初対面でスマートフォン(スマホ)でウイーチャット(微信、中国版LINE)のQRコードをスキャンし友達に追加したり、ウイーチャットのモーメンツやウェイボー(微博、中国版X)の投稿に「いいね」をつけたりなどは、いつの間にか中国人のコミュニケーションの一部となっている。インターネットの登場と普及は、中国人の社会的交流に新たな空間を提供し、人々のライフスタイルとコミュニケーション習慣も変えた。 

インターネットの発展に伴い、中国のソーシャルメディアの形式と機能もこの30年において何度も変化してきた。最初期のBBSやブログから、ウェイボーやウイーチャットなどのSNS、そして今のショート動画やライブ配信などのUGC(ユーザー生成コンテンツ)プラットフォームに至るまで、インターネットとソーシャルメディアは空間時間的制限を打破し、世界のどこにいても即座にコミュニケーションできるソーシャルプラットフォームを人々に提供している。これらの変化はソーシャルメディア業界の発展を推進するだけでなく、人々の社会的アイデンティティーの変化も推進している。 

増える他人との交流 

中国は1994年にインターネットへの完全な接続を実現した。最初期のネットユーザーにとって、当時のインターネットは「情報交流のプラットフォーム」というより、「情報伝達のルート」と言った方が正しい。電子メールによって、人々はより便利かつ迅速に連絡を取ることができるようになり、チャットルームの人々は仮IDで見知らぬ人と交流できた。しかし深い会話になる前にチャットルームから退室するとその仮IDも永遠に消えてしまった。 

インターネットによって、人々は初めて見知らぬ人とのコミュニケーションを実現した。しかし、このような「交流以上交際以下」の局面は、BBSが登場したときにようやく本当の変化を迎えた。 

中国初のBBSサイトは91年時点で存在していたが、95年以降、パソコンの大幅な値下げやダイヤルアップ接続の減少、ウィンドウズの普及などで、水木清華(95)、猫撲(97)、西祠胡同(98)、天涯社区(99)、華声フォーラム(2001)などのBBSがようやく一般化された。  

BBSは多くのテーマや話題から構成されて、各テーマや話題は独立した「集落」であり、共通の趣味や関心を持つ若者をそれぞれ集め、明確なテーマを持ち、積極的に交流するコミュニティーを形成した。チャットルームと比べて、BBSは「匿名性」を残すと同時に固有IDによってネットユーザーの発言に痕跡を残した。これは、ネットユーザーを引き付けるのは「面白くて話す価値のある話題」だけでなく、「趣味も気も合う(6)見知らぬ友人」だということを意味している。 

そこで、「匿名制ソーシャルメディア」がBBSのセールスポイント(7)となった。BBSという匿名のネットコミュニティーで人々は自分のバーチャルアイデンティティーをつくり、主にテキストコミュニケーションを通じて社会関係を構築する。これが当時の主なネットの交流方法だった。 

1999年に設立された「天涯社区」は、中国ネット文化の先駆けであった。エリートも庶民も集まり、世間話や国内国際情勢に対する意見交換をした。天涯は当時の若者が集まるネットコミュニティーとなり、「1980年代生まれの思い出」と呼ばれている。 

天涯社区の長年のユーザーだった寒凱さんは9万人近くのフォロワーを持っていた。面白い投稿が多かったため多くの読者を持ち、大学在学中に出版社と契約して8000元の原稿料を手に入れた。それだけでなく、天涯で活躍している各業界の「スペシャリスト」と知り合った。彼らとの会話は興味深く、心から共感できるものばかりで、今でも連絡を取り合う人もいるという。「天涯は私の人生を変えました」と寒さんは言う。 

90年代末及び2000年代初頭に大学生だった人にとって、大学のBBSは学生生活の一部だったと言っても過言ではない。清華大学の水木清華、復旦大学の日月光華、中国人民大学の天地人大はいずれも当時の大学生たちがよく知るネットコミュニティーだった。 

中国人民大学の卒業生の高原さんは学生時代、天地人大の常連だった。00年に入学した彼女は4人のルームメートとお金を出し合い、コンピューター学部の男子学生に頼んで一台のパソコンを組み立てた。5人は時間帯を分けてパソコンで大学からの通知やサークルの情報をチェックした。担当教員に対する学生たちからの評価は科目を選択するときの重要な参考となり、大学内外のよもやま話やさまざまなネットニュースもBBSでの議論を経てさらに注目されるようになった。パソコンを使っている学生の近くに他のルームメイトが集まる様子は当たり前の光景だった。 

知識社会から草の根メディアへ  

BBSは人々に自由に意見を述べる場を提供した。これによって個人の才能や個性をアピールする場所がさらに求められ、ブログが生まれた。 

02年、方興東さんと王俊秀さんが『中国ブログ宣言』を発表し、ブログを「博客(ボーカー)」と初めて翻訳した。ブログが中国の知識社会化をけん引できると強く信じた方さんは、同年8月に「博客中国」(Blogcn.com)を設立した。中国インターネット情報センターの統計によると、04年の国内ネットユーザー総数は9400万人にすぎなかったが、同時期の国内ブログ数は300万もあった。つまり30人のネットユーザーのうち1人がブログ利用者だった。 

06年から09年までの4年間はブログ発展の黄金時代と見なされている。新浪ブログや網易ブログ、捜狐ブログ、天涯ブログ、ブログバスなどさまざまなブログプラットフォームが中国で大いに成長し、数多くの優秀なブログやブロガーも生まれた。ブログの総閲覧量が1億を突破した作家の韓寒さん、明の時代の歴史を面白く紹介した小説『明朝那些事児』を執筆した当年明月さん、VCDプレーヤーやMP3プレーヤーなどで中国屈指の電子機器メーカー「歩歩高」を創立した段永平さんらがそれに当たる。ブログを書き、読み、それについて議論することは当時の人々のブームだった。 

09年9月には「新浪微博(新浪ミニブログ)」(ウェイボー)が登場。140文字の上限とブログ時代に合わせた有名人戦略によって、新浪ミニブログはネットユーザーが「いつでもどこでも、新しいことを発見する」新しい空間となった。 

より使いやすく、より伝わりやすく、より高い社交性を持つミニブログは、数多くのブログ利用者を横取りしただけでなく、インターネット時代に新たに増えたネットユーザーの心も奪った。ブログと比べてミニブログは文字数が少なく、インタラクティブ性が高く、情報伝達がよりタイムリーで速く、そしてパソコンなどがなくても使える。携帯電話などのモバイル端末を利用して断片化された情報を発信するミニブログは、真の「4A」、すなわち「Anyone、Anywhere、Anytime、Anything(誰でも、どこでも、いつでも、何でも)」を実現した。 

ハードルが低く、参加性が高い「草の根メディア」の新浪ミニブログでは、全ての人が情報発信者になれ、人々の表現意欲と参加意欲を大きく盛り上げた。「手当たり次第に撮影して誘拐された児童を救出する」運動、寄付などの公益活動、売れ残り農産物の販売などを通じて、新浪ミニブログは無数の微弱な声をネット空間で大きく響く公共の話題に拡大させ、大きな社会的反響を呼んだのだ。 

中国社会の変遷を観察記録する中国の有名誌『新周刊』は10年、同年度の最も影響力あるメディアサイトの栄誉を新浪ミニブログに授与した。一時は「民衆の視線で中国を変える」ことが熱い議論の話題になり、新浪ミニブログが「伝統的メディアの情報発信の面における不足を補った」と多くの人が称賛した。 

絆を深める知り合いソーシャル 

ブログやミニブログなどの見知らぬ人々の社交場のほか、QQやウイーチャットなどの知り合いソーシャルも盛んに発展した。ソーシャルメディアを通じて、人々は友人や家族と気軽に連絡し、生活や意見、経験をシェアすることができる。 

1980、90年代生まれの中国人なら次のような記憶があるだろう。レベルアップに必要な日数を増やすためにネットカフェでQQに2時間ログインし、自分のレベルが「星」から「月」へ、さらに上の「太陽」に変わるのを見届ける。パソコンから聞こえてくる通知音が「ゴホン」という「せき」。「ノック音」は友達のログイン。QQチャットとQQチャットグループを主な交流ツールとし、QQペット、QQ空間、QQショーなどのさまざまな遊びを加えることによって、QQは単なる通信ツール以上の総合的なソーシャルプラットフォームになった。 

99年に発表されたOICQ(2000年11月にQQに改名)はわずか9カ月で新規ユーザーが100万人を突破し、02年3月に1億人の大台を突破、中国インスタントメッセンジャーの絶対王者となった。ウイーチャットが登場した11年になってもQQは依然として人気があり、月間アクティブユーザーは6億4760万人に上った。しかしQQに比べてウイーチャットは操作がより簡単で、ネットソーシャルに苦手な中高年層に適していたため、利用率が大幅に向上した。 

黄建新さんは留学を控えた娘との連絡用に、数年前に初めてSNSアプリを使用した。娘にウイーチャットをインストールしてもらい、1週間の訓練を経て、ようやく「テキストメッセージ」「音声メッセージ」「ビデオ通話」などの基本機能を使えるようになった。出発前になってもまだ安心できなかった娘から「ウイーチャット使用ガイド」を作成してもらい、連絡が途絶えないよう毎日使ってと念を押された。 

「以前は電話をかけることしかできなかったですが、今はビデオ通話でいつでもどこでも娘と会えますね」。定年退職した黄さんはネットを通じて家族と毎日の「対面」を果たしているだけでなく、書道好きだから大理ペー(白)族自治州老幹部詩書画協会のウイーチャットグループにも参加した。グループメンバーのほとんどは60~80歳の高齢者だが、全員インターネットを使いこなし、よくグループ内で書道の心得を共有したりするという。 

中国の大手検索エンジン百度(バイドゥ)が提供するデータ共有プラットフォーム「百度指数」によると、ウイーチャットユーザーの中で利用率が最も高い年齢層は30代だ。中国社会科学院国情調査ビッグデータ研究センターなどの研究機関が共同で発表した「中高年インターネット生活研究報告」によると、早くも18年にウイーチャットはすでに電話や対面コミュニケーションを超え、50歳以上の中高年が最もよく使う連絡方法となっている。 

中国インターネット情報センター(CNNIC)が3月22日に発表した第53回「中国インターネット発展状況統計報告」によると、中国のネット利用者はすでに10億9200万人に上り、インターネットの普及率は775%に達した。ネット技術の急速な発展や社会、政治、経済、文化生活が日増しに豊かになるにつれて、ネットソーシャルの環境も驚天動地の変化を経験している。ネットユーザーの数が増え続けるとともにソーシャル機能もニューメディアの中で一般化(8)されており、数多くの細分化した市場が生まれている。今、ビリビリや抖音、YYライブ、小紅書、快手などの動画ライブ配信プラットフォームにはいずれもソーシャル機能が備わっている。そしてこれらは実生活と緊密に結びつき、人々の衣食住の各分野に浸透し、仮想世界を徐々に「現実」へ近づけさせている。人々は実世界で対面コミュニケーションを取りながら、SNSアプリを通じてネットでもコミュニケーションを行い、仮想と現実を自由に切り替えている。 

人類社会にとって人付き合いは永遠に求められるものだ。この30年間を俯瞰すると、インターネットの変化は人と人とのつながり方を革新した。人々はインターネットを通じて交流し、現実社会と緊密につながっているが以前と大きく異なるコミュニケーションを形成している。 

 

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