技術駆使して未来に継承

2025-01-13 16:02:00

田潇=文 董芳=写真 

「(莫高窟一帯には)小川が合流し木々が立ち並び、肥沃(ひよく)な畑と森が広がる」。莫高窟の風景は碑文にこのように描写されている。しかし唐代から敦煌の砂漠化が深刻化し、366年に僧侶楽僔が訪れた山林はすっかり姿を消し、代わりに現れたのは枯れ果てた川底と無限に続く流砂だった。 

1600年余りがたち、風雨に侵食された莫高窟はまだ存在し、それに込められた革新と創造の遺伝子は活性化され続け、中華文明史の研究をより深め、中華の優れた伝統文化を子々孫々に受け継がせている。 

気の遠くなる作業を丁寧に 

「ほとんどの劣化はすでに修復が完了し、いまは起甲(壁画の下地層あるいは彩色層の亀裂やうろこ状剥離、さらには脱落を指す)と空鼓(壁画の彩色層が疱疹状に膨れて壁面から乖離(かいり)することを指す)の修復をしています。塑像は一昨年修復が終わりました」と敦煌研究院壁画修復師の殷志宏さんは莫高窟第55窟で語った。 

10世紀頃、中原の地は戦乱が続き、辺境の敦煌は相対的に安定していた。当時、その一帯を治めていた曹氏は仏教をあつく信仰し、莫高窟に大きな洞窟をいくつもつくり、敦煌に独自の仏教文化をつくった。莫高窟第55窟では当時の開削のにぎわいをかすかに垣間見られる。 

1000年余りがたち、保護修復前の第55窟は塩類晶出や空鼓によって壁画が大きく脱落し、起甲によって彩色層が無数のうろこ状剥離を起こし、鮮やかだった仏がぼやけてしまった。第55窟の歴史文化的情報をありのままに後世に伝えるために、2022年から敦煌研究院文物保護技術サービスセンターの一部の職員は第55窟の「壁」に挑んだ。 

「現代の文化財保護の鉄則は干渉を最小限に留めることです。第55窟の保護修復作業で扱っている材料と技術は可逆性があり、古いものを古いままできる限り維持しています。『保護的』な破壊を避け、技術が未熟な場合は先送りすることも可能です。今後、新たな材料やより良い修復方法が現れるかもしれないので、未来のために修復の余地を残しておくのです」。殷さんの言葉通り、第55窟で修復作業を行う前、他の洞窟と同様に保護に関する一連の手順を厳格に履行した。つまり、対象の歴史、芸術、科学的価値を全面的に把握評価し、壁画の保存状態を詳細に調査記録し、それが置かれている環境を測定するとともに、その制作材料と損傷の原因を科学的に分析し、その分析結果から修復に用いる材料と技術を選定し、保護修復プランを立てて保護プロジェクトを実施するのだ。 

55窟の一角で修復師が起甲の修復中だった。起甲している壁画の裏側にノズルの先端を横から差し込み、シリコンとアクリル酸を混ぜ合わせた接着剤を慎重に注入し、コットン紙を当ててヘラで押さえつけながら壁画を固定させている。 

起甲はポピュラーな損傷で、熟練の修復師であっても1日で手のひら大程度の部分しか修復できない。空鼓は工程が多く複雑であるため、さらに時間がかかる。防護し、接着剤を注入し、乾燥するまでだけで数日要し、乾いたら脱塩処理を施さなければならない。壁画修復師は壁画の医者であり、相対するのはしゃべれない「病人」だ。 

「この工程は時間がかかりますが、焦ってもどうにもなりません。事前にしっかり把握や研究をしていなかったり、技術や材料に完璧な結論を出さないまま修復を進めればきっと問題が生じます」と殷さん。第55窟は莫高窟の大型洞窟の一つであり、壁画の面積は500平方余りある。このサイズの洞窟は、七、八人のチームで四、五年かかってようやく基本的な修復作業を終わらせられる。 

壁画修復の意義について殷さんはこう語る。「私たちが修復した文化財は、今後十数年、ひいては数十年安定した状態で保存できるでしょう。こうすれば、後世の人々もこれらの美を鑑賞できるのです」 

敦煌には殷さんのような壁画修復師が100人余りいる。莫高窟に現存する壁画は4万5000平方あり、80年近い経験の蓄積によって敦煌研究院は一連の壁画保護技術と科学的な工程を打ち立てた。莫高窟の最大の敵は時間であるが、時間はまた莫高窟の価値を高めてくれる。莫高窟を末永く保存することは、全ての莫高窟の保護修復に携わる人の初心だ。 

先人の声に耳を傾ける 

1944年に敦煌芸術研究所(現在の敦煌研究院)が創設されるまでの約400年間、莫高窟は誰からも管理整備されておらず、文化財は多くのリスクと危険にさらされていた。輝かしい敦煌文化を守るため、文化財そのものを保護修復するほか、敦煌研究院は最先端の技術を使って文化財に関するデータの採集、保存、加工を行い、デジタル空間で敦煌の文化財に新たな命を吹き込んだ。 

「ソフトウエアで制御させれば、この第4世代壁画ハイファイ自動撮影装置が設定したパラメータと順番通りに分割撮影し、壁面全体の情報を記録できます」。敦煌研究院文化財デジタル化研究所の張濤さんは莫高窟第341窟で語った。 

撮影された壁面画像は即座にパソコン端末に送られ、同研究所の余音さんがモニターで画像をチェックする。「洞窟によってサイズ、形、スタイルが異なり、王朝ごとに美的感覚も違うため、仏の姿もさまざまで、データ収集作業は石窟ごとに異なるプランが必要です」 

データ収集は莫高窟デジタル化の第一歩にすぎない。壁画のデジタル化永久保存を実現するには、収集後に画像をつなぎ合わせなくてはならない。人力では1日だいたい20枚の写真をつなぎ合わせられ、1枚の壁面につき2カ月近くかかる。誤差1以内に収めなければならず、人物の髪の毛にも「天衣無縫」レベルが求められる。それから形状が変化しないように位置を調整する。 

彩色塑像の3D再現は大量のデータによって肉付けする。莫高窟第45窟にある1余りの主仏雕塑の再現には、パソコンソフトで400万個以上の三角ポリゴンを費やした。第158窟にある高さ1560の涅槃像の再現には2年を要し、三角ポリゴンの数は億を超えた。 

2006年4月に敦煌研究院がつくったデジタルセンター(後に文化財デジタル化研究所に改名)の主な業務は敦煌石窟とそれに関連する文化財のデジタル化技術の研究と応用であり、数々の実験や模索、研究を続けている。どのようにして洞窟という複雑な環境で正確に光を照らし、曲率が異なる壁画から高品質な画像を取得し、画像のつなぎ合わせで生じる形状変化を制御するかなどの一連の技術的な難関を克服し、最終的に壁画デジタル化のコア技術と作業モデルを打ち立てた。 

千年間にわたり、文化財は刻々と老朽化している。「永久的に保存し、永続的に利用する」ことは文化財保存専門家の難題だ。敦煌研究院にとって、文化財のデジタル化はゴールではなくスタートだ。石窟や壁画などの文化財が現実世界から消失する日が来ても、多元化とスマート化が結び付いた石窟文化財デジタル化データバンクには敦煌の石窟情報が永久的に保存され、後世の人々が永続的に利用できる。 

敦煌研究院美術研究所では、芸術家たちが莫高窟第172窟の盛唐の様子を再現しようとしている。第172窟の復元性模写プロジェクトの責任者である同研究所の韓衛盟副所長は、第172窟の復元模写は海外展で注目を集めたと語る。 

第172窟は盛唐の頃につくられ、南北の壁にそれぞれある巨大な壁画は大唐繁栄時代の壁画芸術の手本となる作品だが、すでに変色し、欠損すらしている。これに対し、敦煌研究院美術研究所の十数人の芸術家が2016年から石窟全体の復元模写作業を開始した。これは敦煌研究院初の石窟の全体復元模写プロジェクトでもある。 

模写とは莫高窟の予防的保護の重要措置の一つだ。1955年、当時の敦煌研究所の段文傑院長は科学的な分析と研究を通じて第130窟の「都督夫人礼仏図」を再現し、これは復元型模写の模範となった。「その絵をきれいに模写するために、数々の比較作業を研究しました。不鮮明な箇所は、似ていて保存状態が完璧な箇所から裏付けを取り、考証を繰り返してから補完しました。復元型模写とは勝手に付け足せばいいというものではなく、歴史的証拠があり、根拠を元にしないといけないのです」。段氏は回顧録でそう書いている。段氏は後世の人々のために唐代の大型仕女図を救い保存したばかりか、氏がまとめた壁画の模写方法は今に至るまで使われている。 

模写とは自我と個性を縛る工程でもある。段氏は敦煌の青年画家たちにこう述べたことがある。「芸術家のロマンや感情はいったんしまいなさい。ここでの水と食事に慣れて、10年模写しなさい。創作はそれからです」。芸術家たちは世代を超えて、この筋道に沿って莫高窟の世界に入っていった。 

韓氏は2003年に西安美術学院の油絵学部を卒業後、敦煌に来た。12年に日本留学から帰ってきてから、莫高窟の良さが分かった。「日本人が唐代に中国から伝わった技法をまだ使っていることに気付きました。だから帰国後、われわれの先人の技法をさらに理解し、われわれの壁画を読み解かなければならないと思いました。しかし先人にどれだけ近付けるかは、自分の修業次第です」 

韓氏にとって、毎回洞窟に入り壁画の研究に没頭することは自我を観察する過程であり、壁画の内容そのものに心を動かされ、ますます心が落ち着いていく。模写とは千年前の職人と心を通じ合う過程なのである。第172窟の盛唐の様子の再現は、先人と心を一つにする期待だ。 

永遠を目指す取り組み 

早朝のつかの間の静寂を観光バスが打ち破り、莫高窟の一日が始まる。各地からやって来た観光客が洞窟に入り、莫高窟がつくり出した千年の月日がガイドの説明によって鮮やかによみがえる。「莫高学堂」では、鉱物顔料の古い製造方法、壁画修復を学び、千年前の先人が莫高窟の洞窟でどのように壁画を描くかを体験できる。莫高窟と川を隔てた敦煌石窟文化財保護研究陳列センターには、実物サイズの復刻窟が八つあり、北涼から元の石窟芸術を思う存分鑑賞できる。 

陳列センターのガイドである陳唯さんは、観光客への解説を終えると、1階ロビーのショーケース付近で読書をしながら、見学する周囲の観光客の反応をうかがう。2年近く働き、解説をする中で、観光客から質問されることはよくあるが、回答できないこともたまにある。そのため館内を回っているときや休憩中に時間を見つけて勉強するのだ。「研究院資料センターには敦煌学の資料がたくさん収められていて、また最新の研究成果もあるので、答えは必ず見つかります」 

敦煌石窟と蔵経洞から出土された文化財などを主な内容とする敦煌文化は深遠な歴史の蓄積と文化的意義を担い、中国の古代史と文化を研究する貴重な史料だ。習近平総書記はかつてこう指摘した。「敦煌文化の研究と発揚には敦煌文化と歴史遺産の背後にある哲学思想、人的文化精神、価値理念、道徳規範などを深く掘り下げ、中華民族の優れた伝統文化における創造的な転化と革新的な発展を推し進めるだけではなく、それが内包する中華民族の文化的精神、文化的包容力、文化的自信を示し、新時代における中国の特色ある社会主義を堅持し発展させることに精神的支柱を寄与しなければならない」 

昨年1月、『敦煌石窟全集』(全100巻)の第2巻『莫高窟第256、257、259窟考古報告』(2024年1月、文物出版社)が出版された。洞窟の細部が事細かに記録された同書には、敦煌研究院の学者たちの13年間の心血が注がれている。敦煌の学術史では、このような人々が最も基礎的な研究業務に従事している。歴史が彼らに与えた学術的使命は、都市の地下工事のように研究の基盤を敷くことだ。敦煌学は現在、歴史、考古学、芸術、文化財保護など多分野で大規模な研究成果を上げている。昨年8月27日、敦煌学の研究成果と一次資料を世界中から集めた敦煌学研究文献バンクが正式にリリースされ、世界の学者のために開放的で誰もが利用できる学術リソースのプラットフォームを設立し、世界の敦煌学の発展のために新たなエネルギーを注入した。 

敦煌学研究文献バンクは「デジタル敦煌」の一員だ。近年、敦煌研究院は膨大なデジタルリソースを使って多種多様なデジタル文化コンテンツをつくり、中国の優れた伝統文化の生命力を喚起し、文化財と文化遺産がまばゆく輝き、永続的に発展するようにしている。 

「デジタル敦煌」リソースバンクには、実物大の洞窟のリアルタイム3Dモデルが構築され、はるか遠くの砂漠にある千年の至宝を開放している。「デジタル蔵経洞」では、晩唐、北宋、清朝末期などに「タイムスリップ」できる。「尋境敦煌―デジタル敦煌没入展」では第285窟の「パンテオン」をVRで体験できる。 

「デジタル敦煌」は敦煌文化を伝える重要な窓口とブランドだ。さまざまな芸術展、学術活動などが中国の各都市および米国、フランス、イタリア、トルコなどで行われ、文明交流と民間交流の促進に重大な役割を発揮している。 

敦煌文化の輝きは世界各民族の文化の神髄の融合であり、中華文明が数千年にわたってあらゆる面を吸収し理解し続けてきたという模範でもあり、過去を生き生きと語るのみならず、現在と未来にも深い影響を与えている。敦煌文化をしっかり保護、研究、発展、継承することは人類の自然な願いだ。敦煌から中華文明史の研究を深め、敦煌文化をこの時代だけのものとせず、子々孫々と受け継がれるようにしなければならない。 

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