中華文化を輝かせる鍵
中医薬は中華民族数千年の健康理念と実践経験をのせ、中華民族の知恵を結集したものであり、とりわけ代表的な文化的記号だ。
「中医薬とは一般的な意味での『医学』にとどまらず、一種の『文化』です」。上海中医薬大学党委員会書記の曹錫康氏から見て、中医薬文化とは中医学の古典理論を中核にし、診療手段と技術、伝統的な哲学思想、健康と摂生、そして関連する療法、文献、倫理を網羅した複合型文化であり、中医薬の数千年にわたる発展の中で蓄積していった精神的意味と物質的媒介の融合体だ。
数千年の知恵が詰まった文化
伝説にある「神農、百草を嘗める」の太古の時代から、中医薬は先秦、秦・漢、唐・宋、金・元、明・清といった各時代において理論体系が絶えず整備され、医療技術も刷新され続け、独自かつ完備された医学体系を構築した。
『黄帝内経』『神農本草経』『傷寒雑病論』などの中医薬の古典にはその理論や薬物知識などが記載されており、中医薬文化の継承を裏付ける貴重な文献となっている。明代の李時珍が著した『本草綱目』は世界で初めて薬草を科学的に分類しており、ダーウィンから「中国古代の百科全書」と称賛された。

「中医薬文化の源泉は大衆の生産・生活と実践にあり、長年の経験の蓄積を系統的な理論にまとめ、最終的に原点回帰し実践に応用され、人々の健康と福祉に貢献してきました」と曹氏は説明する。
また、中医薬理論はその発展の中で儒教、道教、仏教などの中国の優れた伝統文化の神髄を吸収し、「天人合一」の全体観および弁証論治、大医精誠などの価値観を形成し発展させていった。
「大医精誠」とは中医薬文化における医徳(医師にふさわしい道徳)の体現であり、「人間本位」(2)という中華文化の核心にも合致している。唐代に「薬王」と称された孫思邈が著した『備急千金要方』の第1巻『大医精誠』に医徳の原則と規範が初めて系統立てて詳しく述べられ、そこには、医術を学ぶ者は商売にばかりかまけてはならず、無私無欲であり、患者を差別することなく平等に接し、「人の苦しみを自分のことのように思え」と書いてある。
「中医薬とは独自の長所を持った医療技術であり、中華文明の宝庫を開ける鍵です」と江西中医薬大学首席教授の劉紅寧氏は語る。「中医薬にある八段錦や五禽戯などの健康法は体育文化に属します。また、『寝る前にダイコン、起きたときにショウガを取る』などの市井に浸透した健康に関する慣用句は生活文化に属します。そして、中医薬は中華民族の独創的な医学として、巨視的で系統的で全面的な角度から人間の健康、疾病の発生と進展の法則を明らかにしていて、これは科学技術文化に属します。中医薬文化は中国の伝統文化をほぼカバーしているとも言えます」
中医薬文化の復興は中華民族の優れた伝統文化の復興であり、民族復興という高みに立ち、中医薬文化を知り、継承し、発展させるべきだと劉氏は考える。
中医薬の揺るぎない自信
近代以降、西洋医学が中国に伝わり、中医薬の発展に大きな影響をもたらした。しかし中医薬は豊富な歴史的蓄積と独自の治療効果によって依然として力強く継承と発展を続け、中華民族が健康の危機に直面するたびに立ち上がった。
「1918年に世界中で数千万人の命を奪ったインフルエンザが中国にまん延したとき、中医薬関係者は救命活動に進んで取り組み、銀翹解毒丸などの伝統薬を広く使用して患者の苦しみを和らげ、疫病のまん延を抑制しました。2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)との闘いでは、広東省が中医薬を早期に導入し、極めて良好な効果を上げ、世界保健機関(WHO)から高く評価されました。世界のSARS患者の平均死亡率は11%でしたが、中国本土は7%、うち広東省は3・8%でした。新型コロナウイルス感染症の予防・抑制においても、中医薬は予防、治療、回復の各段階で独自の優位性を示しました」と、中国中医科学院中国医史文献研究所研究員で博士課程指導教官の呉文清氏は説明する。
現在、中国には約1万4000部の中医薬に関する古書がある。江西中医薬大学教授の蒋力生氏は、これらの古書は単なる文献ではなく、2000年以上にわたる中医学の思想理論、臨床経験、そして生命現象や疾病現象などの認識に対する貴重な記録であると述べる。

「われわれが現在出会う正体不明の新しい病気が、実は500年前や1000年前にすでに現れ、文献に病気の症状や先人の診断結果、治療過程に関する記録が残されている可能性があります。従って、中医薬の古書は医療技術が発達した今日においても非常に価値があるのです」と蒋氏は語る。
1970年代、中国中医科学院研究員の屠呦呦氏は、東晋の葛洪が著した『肘後備急方』からヒントを得て実験方法を改良し、最終的に抗マラリア作用を持つアルテミシニン(3)を発見し、何千万人もの命を救った。屠氏はこれにより2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。ノーベル賞委員会は、屠氏が伝統的な中医薬からヒントを得たことを取り立てて付言している。
近年、中国は中医薬への注目度を日増しに高め、一連の支援政策を打ち出している。特に「第14次五カ年計画」以降、中国は中医薬文化建設を中華の優れた伝統文化継承発展プロジェクトの全体的枠組みに組み込み、中医薬健康文化推進活動、中医薬文化広報活動などの専門事業を展開し、広範な大衆の中医薬に対する文化的ニーズを絶えず満たしている。
中医薬文化の普及活動が持続的に推し進められるに伴い、ますます多くの中医薬専門家が末端に深く入って無料診療サービス(4)を展開し、質の高い医療資源を一般大衆に届けている。同時に、中医薬文化はより多様で、親しみやすい形で日常に溶け込んでいる。中医薬系大学・学校は青少年向けに特色ある授業を開設し、テーマ別サマーキャンプを開催している。各地の中医薬博物館は人気の文化観光スポットとなっている。ライブ配信やショート動画などの新たなPR手段を借りて、多くの中医薬ドリンクも人気を博している。中医薬はその独自の魅力で一般家庭に浸透し、時代の息吹を吹き込んでいる。
世界進出と普及
中華民族が健康の危機に直面した際、中医薬は命を救う処方箋となる。世界の医学が課題に挑む際、中医薬はインスピレーションの源となる。世界の文明が交流と相互参照をする際、中医薬はまた「文化のシンボル」にもなる。
早くも秦・漢代に中医薬は周辺国・地域に伝わっていた。唐・宋代に朝鮮や日本などで広く受け入れられ吸収されたばかりか、アラブ諸国を経て欧州にも伝わった。近代以降は大量の華人が海を渡る中で、医学知識を持つ多くの華人が中医薬を異国に持ち込み、中医薬文化の海外普及を推し進める上で重要な役割を果たした。
1918~19年にインフルエンザが米国オレゴン州東部で猛威を振るっていたとき、まだ発達していなかった西洋医学では病人をベッドで安静にさせる以外の対策がなかった。危機的状況の中、現地の華人・伍於念は中医薬療法で無数の病人を治療し、地元では名医と呼ばれた。また、貧しい人々の治療費を減額・無料にしたことで、さらに尊敬された。52年に亡くなったとき、現地では州旗と市旗を半旗にして彼を追悼し、住居を展覧館に改築した。
近年、中医薬文化は国際交流と文明の相互参照でも独自の価値と魅力を放ち続けている。
ブラジルのゴイアス連邦大学中医孔子学院はラテンアメリカ地域で初となる中医薬の特色を備えた孔子学院であり、中医薬文化の普及を中国語教育に融合させ、両者を互いに補完し磨き合うようにしている。授業は中医薬講師が解説・実演し、受講生たちが耳を傾け、観察し、体験するという熱心なムードで進む。
「中国の知恵、中国の哲学思想、中国人の生活様式、どれも興味があります」。ブラジル人受講生のダグラス・モレンタールさんは武術と中国文化を学び、今では体育教師であり鍼灸師でもある。「中医薬を学ぶのも中国語を学ぶのも両方欠かせない」と彼は言う。
この数十年で中医薬はブラジルで著しく発達し、現地にはいま20万人余りの中医薬従事者がおり、各地にさまざまな中医クリニックがある。鍼灸や薬草などの療法は現地の医療保険システムに組み込まれている。中医薬学カリキュラムを開設する大学・学校も年々増えている。
現在、中医薬は世界196の国・地域に普及し、119項目の中医薬国際標準が世界で発表されている。WHOの統計データによると、113の加盟国が鍼灸などの中医薬治療法を認めており、29の加盟国が中医薬の基準に沿った使用に関する関連法令・法規を制定しており、さらに20の加盟国が鍼灸などの中医薬治療法を医療保障体系に組み込んでいる。中医鍼灸、チベット医学薬浴法、太極拳などは「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に、『黄帝内経』『本草綱目』『四部医典』などは「世界の記憶リスト」に登録されている。
「中医薬文化は中華民族の優れた文化であるだけでなく、中医薬が『海外進出』するための重要な媒体でもあります。世界の人々が中医薬文化を十分に理解し、受け入れてこそ、彼らはより進んで中医薬による治療を受け入れることができます。文化交流の強化は中医薬文化を広める重要な取り組みであり、その健康的価値を世界に示す重要な経路でもあるのです」と曹氏は語る。
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