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「春運」の影の小さなドラマ『到阜陽六百里』

 

文・写真=井上俊彦

「今、中国映画が絶好調です。2008年には43億人民元だった年間興行収入は、10年には101億と急上昇、公開本数も増え内容も多彩になっています。そんな中国映画の最新作を実際に映画館に行って鑑賞し、作品だけでなく周辺事情なども含めてご紹介します」

 

上海の「阿姨」たちが無許可バスで帰省

この作品は金馬賞以前にも、第14回上海国際映画祭のアジア新人賞部門の最優秀監督賞を受賞している
11月26日、第48回台湾電影金馬賞の授賞式が行われましたが、そこで最優秀助演女優賞、最優秀オリジナル脚本賞を獲得した作品を、ちょうどその日北京で見ました。それが『到阜陽六百里』です。

曹俐(チン・ハイルー)は、広州で店を開くものの仲間に裏切られ、一文無しになって上海に戻って来ます。そんな彼女に、住む場所を提供してくれたのも、清掃員の仕事を紹介してくれたのも故郷・阜陽からの出稼ぎ仲間たちでした。やがて春節(旧正月)が近づいて来ますが、疲れるばかりの仕事に曹俐は元気がありません。そんな時、狗哥(リー・ビンビン)は同室の九子が見つけて修理した廃車のバスを使って帰省バスを運行しようと、曹俐に阜陽出身の仲間を集めるよう持ちかけたのです。無許可バスの形のないチケットを、同郷の「阿姨」(家政婦・保母)たちに営業して回る曹俐は、商売の順調さにみるみる元気を取り戻していきます。実は狗哥は、曹俐が若い頃男にだまされ、子どもを残したまま出稼ぎに出て10年も里帰りしていないことを知っており、彼女もこのバスで帰省させるつもりだったのですが……。

チン・ハイルー(秦海璐)が『鋼のピアノ』以上とも言える演技を見せています。無表情を崩さない主人公の、語らない過去、現れない家族との関係、表に出さない苦悩を、見る側の想像力に訴えかける演技は、胸に迫るものがあります。一度だけ涙を流しますが、それでも表情は変えません。そして、唐群が演じる同室の中年女性・謝琴の、大都会の底辺で生き抜いて来たしたたかさの裏にある、愚かしいまでの母親ぶりは、同世代なら涙なしには見られないでしょう。久しぶりに映画で泣かされました。

監督は、『7-ELEVENの恋』が東京国際映画祭で上映されたこともあるドン・ヨンシン(鄧勇星)で、この作品ではホウ・シャオシエン(侯孝賢)がプロデュースを担当しています。ドン監督は、阜陽出身の「阿姨」たちが春節に自分たちでバスを仕立てて帰省したという小さな報道を見て、「そこまでして帰りたい『家』とはいったいなんだろうか」と考えたことから、この物語を思いついたそうです。さすがオリジナル脚本賞受賞だけあって、都市で働く出稼ぎ労働者についての深い理解があり、相当にしっかりと取材した上で書かれたことが想像されます。

当代MOMAに入ったら奥に進むと池の中にある建物が映画館。すでに池は凍結し始めている 初めて行く場合には少し分かりづらいが、現代的なフォルムの建物が見えたらそれを目指して行くといい

出稼ぎ労働者1200万人の物語

安徽省出身の出稼ぎ労働者は1200万人いると言われます。そして、上海では安徽省出身の「阿姨」はまじめで忍耐強いという評判があり、市民にも身近な存在です。この作品では、「春運」(春節の帰省ラッシュ)報道で紹介される駅前広場を埋め尽くす帰省客と、「阿姨」たち個人のドラマを、無許可バスで結びつけるという手法が新鮮です。曹俐の営業活動を通じて、「阿姨」1人ひとりの背景にある物語が拾い集められ、さりげなくストーリーに組み込まれていくのです。ちなみに、阜陽は安徽省の中でも北西部にあり、上海からの直線距離は東京-大阪よりも遠く、約570㌔あります。

 ところで、中国映画がこれだけ多彩になった今、日本のような単館ロードショー専門の映画館があってもいいのではと常々感じていたところ、同僚の日本人専門家の方から「当代MOMAの映画館に行ってみたら?」とのアドバイスをいただきました。当代MOMA内にある北京万国城百老滙電影中心では、ほかの映画館ではかからないような内外の文芸作品がよく上映されているというのです。そこで、上映作品をチェックしてみたところ、この日『到阜陽六百里』の上映があることが分かり駆けつけたわけです。実は、私の住まいからは交通の便がいまひとつなのですが、出向いた価値は十分にありました。

観客は7割方の入りでしたが、1人で来ている若い男性や女性2人組がほとんどでした。上映中のマナーも良く、エンドロールの間もほとんどの人が席を立たないなど、「そうか、渋谷の映画館にいるようなファンはここにいたのか」と、少々うれしくなりました。

データ
到阜陽六百里(Return Ticket)
監督:ドン・ヨンシン(鄧勇星)
キャスト:チン・ハイルー(秦海璐)、タン・チュン(唐群)、リー・ビンビン(李彬彬)
時間・ジャンル: 89分/文芸
公開日:2011年9月20日

3ホールだけの小さなシネコンで、上映されている作品のラインナップは、他の映画館とは少し違っている 映画や芸術関係の書籍を中心に扱う書店、喫茶店、ライブラリーなどがあり、待ち時間をゆったり過ごせる

北京万国城百老滙電影中心
所在地:北京東城区香河園路1号当代MOMA北区T4座
電話:010-84388258
アクセス:地下鉄2号線東直門駅下車徒歩15分、B出口から北に進み、川を渡って右に

プロフィール

1956年生まれ。法政大学社会学部卒業。テレビ情報誌勤務を経てフリーライターに。

1990年代前半から中国語圏の映画やサブカルチャーへの関心を強め、2009年より中国在住。

現在は人民中国雑誌社の日本人専門家。

 

人民中国インターネット版 2011年11月28日

 

 

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