中国語で口論ができた日
井手光大(いで みつひろ)
「ウーロン茶~♪」1997年9月、北京中央戯劇学院の面接試験で私が苦しまぎれに歌った歌だ。
その年4月、大学4年に上がる時、中国への留学を決意した。渡航までの半年間はNHKのラジオ講座を聴いて中国語を勉強し、基本はバッチリのはずだった。ところが北京に着くと、自分の中国語がまったく通じないことにがく然とした。不安を抱えたまま、いざ入学というときに、簡単な面接試験があるとのこと。部屋には留学志願者が20人ほど一堂に会している。試験官から何かを披露しなさいという「お題」が出され、他の志願者はダンスを踊ったり、武術の型を披露したり、オペラ歌手並みの歌を歌ったり…ところが私には、何もない。そして私の名前が呼ばれた。私はとっさに、当時日本で流れていた「サントリー烏龍茶」のCMソングを歌った。中国語の歌詞もたまたま覚えていた。試験官はどこかの地方の民謡か何かと思ったであろう。私は全身に汗をかきながら必死に歌った。横で、バレエを踊った唯一の日本人女性が口に手を当てて必死に笑いをこらえているのを横目に見ながら。
私は恥ずかしかった。この事件後、私はしばらく日本語を封印し、中国語の海へどっぷり浸かった。そんなある日、近所の売店の中国人と口論をした。驚いたことに口をついて中国語が出てきた。怒りのエネルギーはすごい。脳みその中で、中国語単語、文法、語法、発音全てがつながった。点が線になった瞬間だ。そして中身の濃い1年はあっという間に過ぎた。
帰国後は大学も卒業し、就職し、中国とは無関係の普通のサラリーマンになった。2010年のある日、友人から「中国人の生徒が増えて、言葉が通じなくて、困っている公立中学校の校長先生がいる」という相談を受けた。どこまで役に立てるかと思いながら、早速会いに行った。校長先生の話によると、両親の仕事の都合で日本にやってくる生徒が増えているとのこと。友人もなく、言葉も通じず、インターネットで中国の友だちと会話をする毎日。「私たち教師は何とかしたいと思っても、意思の疎通ができない。中学校はいろいろなことを学び、友だちをつくり、楽しい思い出を残し、人間として大きく成長する場であるのに、生徒たちが何を考えているかすら把握できない。だから是非、私たちの代わりに彼らとコミュニケーションをとり、何を思っているか聞いてほしい。彼らが将来、中学校時代を振り返る時、『楽しかった』と思えるように」、という話だった。
私は感動した。こんな素晴らしい先生がいる学校で学べるだけでも生徒は幸せだと思った。私は月2回、ボランティアで通うことになった。健康診断に立ち会ったり、三者面談に参加したり、保護者宛のプリントを作成したり、やることはいくらでもあった。まもなく2年経つが、「ウーロン茶」で始まった1年の留学がこんなところで役に立っていることに私は大きな喜びを感じている。
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中国台湾とマレーシアの留学生と北京の後海を訪れた筆者(左端) |
1973年8月横浜生まれ。明治大学在学中、北京中央戯劇学院演技系に留学。知り合った中国、マレーシア、シンガポール、インドネシア等の友人達と今でも交流しています。 |
人民中国インターネット版 2012年2月3日