中国語教育で国の宝を育てたい
文=津田量
私は高校から大学院までは日本の財団、留学後は中国政府の奨学金を受け、日中両国の人々のお陰で最高の環境で自由に学び、日中の師や友人にも非常に恵まれております。また、中国では学業の他にも障害者支援事業に参画したり、富豪の家から、知識人家庭、裸電球しかないような農村の家まで、様々な家庭の家族の一員のように住み込んだりと、様々な経験をさせて頂いております。日本は嫌いと言う方すら、快く私を受け入れて下さいました。笑い、泣きながら深めた絆は、新たな絆を導き、同時にお互いの思いも深まってきています。
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『聴読中国語』の表紙(写真は筆者提供) |
相手の言葉・文化を知る者は、議論・交渉の行方すら左右し得ます。私は、もっともっと大勢の日本人が中国語を学び、中国に飛び込み、溶け合い、時に議論もしながら友好を深めつつ、直に中国を理解することが大切だと考えています。そして、衝突時には粘り腰で話し合うことのできる交渉力と人間的な魅力を身に付けた人財を何十万人と育てる一つの力になることを、私は夢見ています。
魯迅が中国人を救うのは医学ではなく、文学による精神の改造だと考えたように、私は言葉の壁を低減させ、多くの日本人が中国・中国人を理解し、直接交流ができるようにしたいと考えました。それが日中の国と国民への恩返しであり、同時に自身の夢の実現でもあると確信したからです。
そこで、先年、初・中級者を上級レベルに効率よく引き上げるために、私自身、こんな教材が欲しかったと思っていたものを、多くの方のお力を借りて『聴読中国語』という形にし、日本で出版いたしました。現在、入門者・初心者を合理的に中級者に引き上げる仕組みを備えた教材を提供しようと、日中の先生方・友人達の力を頂きながら作っております。
私淑する宮島大八は、清で張廉卿に学び、1894年に戦争が勃発し、悲痛の思いで帰国し、その後、善隣書院を開くなど近代日本の中国語教育の礎を築きました。彼の『急就篇』は、40年間で170余り版を重ね、かつては中国語習得に欠かせない教科書でした。
善隣は『春秋左氏傳』の一節「親仁善鄰,國之寶也」(仁に親しみ鄰に善くするは、國の寶なり)に由来します。今度こそ、国の宝を育み、守って行かなければならないと思います。
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2010年7月、中国人民大学の学位授与式で社会学の恩師沙蓮香教授と筆者(右) |
人民中国インターネット版 2012年3月