想いは国境を越えて
門馬 涼
「中国にいる家族の為に、僕は働かなくちゃいけないんだ。」そう言った彼の力強い言葉は、中学生だった幼い私の心を動かした。
私の父は漁業関係の会社を営んでいて、外国人技能実習制度を利用し、三年に一度自ら面接官として中国へ行き、中国人技能実習生を雇っている。近年中国の経済は著しい成長を遂げており、二〇〇〇年から二〇一〇年の十年間で国内総生産は四倍、工業総生産は八・二倍も増えている一方で、中国全土でも出生した地域によって収入に大きな格差があり、貧富の差が広がっているのも事実なのだ。
父の会社には、技能実習生として働くために、一回の面接におよそ三十人の中国人がやって来るらしいが、そのほとんどが貧しい地域に暮らす若者だという。彼らが日本で働きたい理由はさまざまだが、日本で働きたいという強い気持ちは、きっと同じだ。いや、同じであってほしいという私の願いでもあるのかもしれない。しかし、実際に採用されて日本で働けるのは、そのうちの四~五人程度なのだ。
忘れもしない中学三年生の秋、周りの友達が志望校を決め始め、着々と受験勉強を進める中、私は自分自身が何を学びたくてどこの高校に進学するべきか、分からなかった。正直に言うと、「分からなかった」ではなく、「どうでも良かった」という表現の方が正しい気がする。(自分の学力に合った学校に入れればいいや)その程度の気持ちだった。
そんなある日、私は散歩がてらに自転車で海岸沿いを走っていると、穏やかな波の音とウミネコが鳴くだけの静かな漁港に、父と一人の青年の姿を見つけた。私は何のためらいもなく父に話しかけに行くと、父も私に気付いた様子でこちらにやって来た。長身でがたいが良く、見るからに体育会系だが、どこかあどけなさの残る青年を、父は「チンさん」と呼び、彼が中国人技能実習生の一人だということを教えてくれた。しかし、その頃の私は知識がなく、技能実習生という言葉を聞いても、いまいち理解することができなかった。そこで私は深く考えずに「どうして日本に来て働いているの?」と、チンさんに訪ねると彼のあどけない表情がまるでスイッチが入ったかのようにキリッと変わり、こう言った。「僕、弟と妹がいる。まだ小さい。お父さんは、僕が小さい時に死んで、お母さんと僕と兄弟の四人だけ。家族に大変な思いさせたくない。だから、僕は働かなくちゃいけないんだ。」と。私は軽い気持ちで彼に日本に来て働く理由を訪ねてしまったことに、申し訳のない気持ちでいっぱいになった。なぜなら、彼が日本で働く裏には、もう一つのストーリーがあったことを、私は想像もしていなかったからだ。何より、あの時の彼の力強い言葉が毎日をどうでもよく過ごしていた私の心を、大きく動かしたからだ。
家に帰って来てからも、彼の話が頭から離れず、ソワソワしていたことを今でも覚えている。それから私は冷静になって、今までの私の生活を振り返り、彼の生活と比べて考えた。改めて振り返ってみると、私はやりたいことをやって、食べたいものを食べて、眠たい時に寝て、何一つ不自由のない生活を、当たり前だと思って過ごしていたことに気付いた。それに比べて彼は、毎日生きることを考えながら、当たり前など一つもない生活を送ってきたのだ。そう考えた時に、私は、中国で起きているさまざまな問題を、自分自身で考えて、解決の手助けができる力を身に付けたいと思い、今私が通っている高校を受験した。
現在、私は中国語の授業を選択していて、語学と共に、国際理解の授業にも意欲的に取り組んでいる。
今日も私は、思いやりの気持ちが国境を越えて、誰かを救える力になることを信じて、前を向いて歩いていくだろう。
人民中国インターネット版2016年9月