あの木
村上 恵理
「私は貴女達日本人を恨んでいるのではない!当時の日本を悲しんでいるだけだ!」
あの時、私の友人が言い放った言葉が今もなお胸中から離れることがない。私の中で数少ない中国人の友人はいつもと違い、真剣な目をしていた。まるでその目からは今にも涙が零れ落ちそうで、私は直視することすら胸が痛くなる気がして思わず目を伏せた。
私は中国人と関わるのが好きだ。理由は正直はっきりとしない。だが、彼らの持つ、あけっぴろげな性格やユーモアに満ち、情に熱いところはまるで自分にないもので、一緒に話をしているととても楽しい。自分の意見をはっきりと臆さずに言う彼らの姿は、優柔不断ではっきりしない私にとってはとても新鮮だ。
よく彼らとは冗談を言い合う。くだらない話をしてはゲラゲラ笑いあうこともある。お互いに流行の日本語や中国語を持ち入りながら、我々はまるでたがいのジョークを競い合うかのようにおしゃべりをする。そこには確かに互いに自身が日本人、中国人という意識はあるものの、それすらも超えるような何かを見るような気さえする。私はそんな友人を愛し、とても大切に思う。
「私だって、争いなんて望んでいない!いいや私だけじゃない!今の日本人のほとんどは望んでいない!私は中国、そして中国人と分かり合いたいと思っている。それが届くように、私は中国語を勉強しているってわかるでしょう?」
あの時、私は無意識に口から中国語が飛び出していた。もちろん拙い中国語だ。しかし、目の前にいる大切な友人に届くように、ただただ必死だった。
些細なことから、我々はまるで触れてはいけない何処かに触れてしまったかのように緊迫した雰囲気となり、それは突然真剣な話しに発展した。私たちはジョークを言い合う友人同士から、一中国人、そして一日本人として本音をぶつけあう仲となった。
生まれて初めて北京に行った時のことだ。私が日本に帰る一日前の夜、私達は北京の路上で別れを惜しんだ。ちょうどクリスマスイブだった。あたりは凍えるように寒く、ネオンが少し霞んで見えてそれはとても幻想的だった。
友人が路上にある一本の木を見つけて、一緒に写真を撮ろうよ、と言った。我々は無邪気に笑いながら写真を撮り、来年も再来年も、その次も、何度だってここで共に写真を撮ろうと約束した。
「もし我々に何かが起きた時はこの木のことを思い出そう、約束だよ!」
いつまでも名残惜しむかのように尽きぬ話しをして、気づけば北京の夜も更け、我々は手を振り別れた。
中国と日本という国は近いようで遠く、遠いようで近い。私はそうつくづく感じる。しかし、我々はいわば隣同士である。
今まで数えきれない輪廻転生を繰り返してきていたとするならば、ある時代では私は中国人として生きていたかもしれない。その時代で、既に彼ら彼女とはなんらかの関係を持っていたこともありえなくないと私は思うのだ。初めて行ったはずの北京が無性に懐かしく感じてたまらなったのも、もしかしたら遠い昔に私はここで生きていたかもしれないとふと思った。そういう意味でも、私は中国に対して特別な感情を抱いている。
ゆえに日中関係の友好を願わずにはいられないし、争いごとなんて起きてほしくないと心の底から思えてならない。驚くことに、こういった話しを日本人の友人にすると、多くが共感をする。大体はメディアなどの先入観で、互いの国のイメージがなんとなく悪くなってしまっているケースが少なくない。しかし我々は人間だ。語り合うということができる。
そこに、壊せない壁などあるだろうか?私はないと信じている。
気づいたら私達、お互いに泣いていた。そうだ、我々はただ互いに分かり合いたかっただけだったのだ。
もう、言葉なんていらなかった。
我々は涙をぬぐい言った。
「ねぇ、あの木、覚えている?」
人民中国インターネット版2016年9月