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中国から来た朋友

 

岩野 美咲

「XJAPANが大好きなんだ!」なぜ日本語を勉強しようと思ったかと聞くと彼女はこう答えた。なぜ彼女が私の世代ですらよくわからないようなアーティストに興味を持ち日本に来たいとまで思ったのか不思議に思い興味を持った。1年前に交換留学生として北京から日本に来た時に彼女と私は出会った。私が中国について知るようになったのはそれからである。それまでは、中国について知る機会がなくどちらかと言えば悪い印象の方が強かった。私は短期留学をしたこともありニュージーランド、タイ、ブータンなど様々な国の人と接する機会があり、慣れているほうだったが、中国人と交流を持つのは初めてで不安もあった。私の中では、中国人といえば、頑固で自分の意志が強いイメージがあり、いい関係を築けるかという不安があった。その反面、中国語を履修していたし、言語を教えてもらったり、新しい文化を知るいい機会になればいいと思っていた。日本に到着した日からチューターとして学習や生活の補助をしていた。私の想像と違って、彼女はとても謙虚で礼儀正しくなおかつしっかりと自分の意見を持っていて、一緒に過ごしていて嫌悪感を抱くことは全くなかった。彼女の立ちふるまいは私の予想をみごとに裏切った。やはり、イメージは一時的な感情に過ぎない。その人個人の中身、本質を見るべきだと確信した。それから週に1、2回会って今日は何を勉強したかやどんな出来事があったかを話したり、熊本の町案内をしていた。毎回会うのが私にとって楽しみになっていた。最近では、社会問題について意見を交換したり、私の相談に親身になって乗ってくれている。私にとって彼女と過ごす時間はとても貴重な時間だ。1年前までは、中国人とこんな風に交流を持つ日が来るなんて思ってもみなかった。

しばらくして私の両親が熊本に来たとき、両親に留学生を紹介した。両親もどんな子なのだろうと興味津々だった。彼女は両親のために中国から持ってきた贈り物を用意していた。お世話になる人にはお礼をするようにと小さい頃からよく言われていたらしい。一緒に食事をして話もとても弾み、両親は彼女をとても気に入り、「いい子だね、娘が一人増えたようだ」と喜んでいた。彼女を見ているとお世話になった人に対して、きちんと感謝の気持ちを持つことは大切だと気付かされる。両親も今までは中国について知る機会はほとんどなかった。彼女が、私や私の両親と中国を繋げてくれた。

そんな毎日を送っていたある日、私たちの日常を一瞬で変えてしまう出来事が起きた。熊本地震だ。私も何日か避難所の生活を余儀なくされ、また彼女も別の避難所で過ごしていた。彼女は熊本に住んでいる他の留学生と一緒に私の実家がある福岡に避難してきた。ちょうど同じ日に私も福岡の実家に避難していた。ほとんどの中国人留学生は福岡についてすぐ母国に一時帰国したようだ。帰国するか迷っていた彼女に私の実家にくるように勧めた。両親に暖かく迎えられホッとしたような表情だった。本震が起きたときでさえ泣かなかった彼女が、困っている人がいっぱいいたのに自分は何もできなかった、本当に情けないと言って涙を流した。私は、今は無事でいることが大事だよとやっと返した。そのシーンが心に鮮明に残っている。結局彼女の両親の希望もあり一時帰国することを決めた。私は必ず帰っておいでと見送った。ひょっとしてもう戻らないのではないかと不安に思ったが彼女の両親からの手紙と心のこもった贈り物と笑顔を持って帰ってきた。私はとてもほっとした。この時の気持ちは絶対に忘れないだろう。手紙の中の一節に「患难见真情」と書いてあった。それは難儀を共にした同志こそ心が通じ合えるという意味で、昔からある言葉だそうだ。それはまさに私と彼女を表した言葉だと確信している。

 

人民中国インターネット版2016年9月

 

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