People's China
現在位置: 中日交流中日交流ニュース

“好き”のその先に…

 

 斎藤萌香

 ふと考えてみた。私はなぜこれほどまでに、中国という国に引きつけられるのだろうか。それには、「言葉と文化」を軸とした様々な理由があった。

幼い頃から、書道教室に通っていた。初めはいわゆる習字の練習をしていたが、次第により書道色のある内容へと移行していった。王羲之による『蘭亭序』冒頭部分の臨書、写経、隷書の練習などである。思い返すと、これが一番初めに意識した中国文化であったかもしれない。

高校に入ると、漢詩の授業が最も好きな時間となった。訓読をするため日本語調の響きになるが、漢文ならではの荘厳さを感じた。中でも杜甫の「春望」を学んだときは、深く感動したのを覚えている。人の儚さを、言葉によってあれほどまでに美しく、かつ力強く描ける作品がかつて存在しただろうか。

そして、現在大学一年生の私が中国語を本格的に勉強しようと決心したきっかけは、上海のあるロックバンドだ。彼らはヴィジュアル系ロックバンドの体を成している。ヴィジュアル系(以下V系)バンドは元来、西洋のロックといった音楽性や、ゴシックといった様式美に影響を受けた日本人が創り上げた独自の文化である。繊細さを表現することで、日本らしさを織り交ぜている。そのV系バンドという日本文化が、隣国中国にも認知され、活動圏となっているのである。私はそのことに衝撃を受けた。しかしそれだけでなく、彼らは中国らしさも取り入れ、違和感なく調和させていたのだ。あるバラード曲では中国の民族楽器である二胡と古琴を取り入れており、幻想的な雰囲気を醸し出している。その曲のミュージックビデオにも、木簡やお香といった中国らしさを感じさせる要素を登場させている。このバンドと曲に強烈に惹かれた私は、中国語で歌われている歌詞の和訳に挑んでみた。そのとき私は、漢詩を学んだ時とは違った感動を得た。これだ、と思った。現代の生の中国語を理解する。そして日本語に変換すると、一つの物語が浮かび上がってくる。想像していた以上に、私にとって刺激的で充実感のあるものだった。漢字という中日両国共通の文字を使用するため、原文の雰囲気をあまり壊さずに和訳ができる。そういった点も、このプロセスが私を虜にした理由の一つである。意味を理解しながら歌を聴き、歌えるようになりたい。純粋に、強く熱く、そう思ったのだ。

私の周りには、中英の三カ国語に通じている人たちが数多くいる。高校の英語の先生、旅行先のガイドの方、国際交流会で出会った女の子。私は彼らを心の底から尊敬し、私自身もそうなりたいと切望している。なぜなら、話せる言語が増えるということは、コミュニケーションを図れる対象となる人が増えるだけでなく、その国の文化的背景も知ることに繋がるからである。それは、アイデンティティーが複数存在することと言い換えてもよいのではないだろうか。結果、見える世界が広がり、思考の幅も広くなるのではないかと考えている。

日々のニュースからは、日中間の友好的な情報はあまり見られないように思われる。政府やメディアの影響力が幅を効かせている以上、互いの国民同士も負のイメージを抱きがちであることは否定できない。しかしだからこそ、互いの文化を新旧問わずに学び合い、関心を深めていくことが大切なのだ。

私は、そうした活動の橋渡しをしたいと考えている。中国の古典文学文化を学び、また日本のそれを伝えたい。そして、C-POPや中国映画など現代の文化についても貪欲に吸収しつつ、V系バンドや、前述はしなかったが原宿のファッションといった、中国にあまり浸透していない日本の現代文化を積極的に紹介していきたい。特に現代文化は、双方に行き来が活発になれば互いの経済効果も期待できるのではないだろうか。

「言葉と文化」を切り口に、日中間の一人一人が心を通わせ合える時が来る。今日も私は、その日を夢見てやまないのである。

同コラムの最新記事
異国で会ったベストフレンズ
つながりを「友好」に
文化の違いを越えて
尊敬する友人とわたし
日中の学生の勉学に対する意識の違い