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異国で会ったベストフレンズ

 

田中美桜

大学三年の夏、私は短期留学でアメリカに向かった。ザ・アメリカを感じさせる大きな家で私を出迎えてくれたのは、ホストファミリーと8人の中国人留学生たちだった。中国語圏に行くか英語圏に行くかの選択で、泣く泣く中国語圏を諦めた私にとって、アメリカでも中国語に触れられることに最高の幸せを感じた。

一方で、ホームステイ先について聞いてくる友達や親戚の反応は私とは正反対であり、それは、日本人が中国人に持つ否定的なイメージを感じさせるものだった。

6人の中国人男子、2人の中国人女子と私で4週間過ごすこととなった。アメリカでの生活が始まったばかりで、まだ彼らと友達になったわけでもないのに、いつかこの中の誰かに会いに中国に行けるかな、なんていう妄想ばかりした。しかし実際は、女子の2人はなかなか部屋から出てくることはなく、女子校に通い続けること14年になる私は、リビングで会話している男子グループの輪に入ることに過度に緊張してしまっていた。なかなか“中国語を日本で学んできたの”、“中国語で会話してみてもいい?”と切り出せず、“ニーハオ”というのでさえもためらってしまった。

彼らはアメリカの大学に通っていて、あと数年はこの家から通い続けるらしい。そのため、私のように短期で来てこの家にホームステイし、自国に帰っていく学生を何度も見送っているのだろう。避けて話しかけてくれないのではなく、私に興味を示すことがなかった。

リビングにいるあいだ、私の前で生の中国語が飛び交う。ただ笑って座っているだけでいいのかと自分に喝を入れ、まずは英語で会話を試みたが、彼らは少し面倒くさそうな表情を私に向けた。彼らは大学であと何年も英語漬けの毎日を送るわけであり、家にいるときくらい中国語で自由に会話したいと思っていたのかもしれない。

家にいる暇な時間はできるだけリビングにいるようにして、私の方から話しかけてみること約1週間。次第に、話しているときに笑ってくれることが増えた気がした。また、6人のうちの2人が日本語の授業をとっていることも知り、それを理由に彼らともっと話すことができた。その日から私たちは、お互いの言語の先生になったように、わからない問題を教え合い、テスト勉強につき合うようになった。日本語を習っていない学生たちも日本語を真似て発音し、“これは日本語では?”“じゃあ、中国語では?”などと聞き合うなど、会話の輪がどんどんと広がっていった。

中国人が思う日本、また政治に関わることまで私たちは話すようになり、正直胸が痛くなるようなことも彼らは私に話してくれた。お互いの気持ちを伝えるために、時には英語で、そして中国語を折り混ぜながらこういった話題で語り合うのは、とても濃い時間だった。

ある朝、“一緒に学校行かない?”と声をかけてもらったとき、私のことを受け入れてくれたような気がして本当に嬉しかったその時の気持ちを、今でも鮮明に覚えている。私のホストマザーが言っていた。彼らはいい性格の持ち主だが、自分たちから仲良くなろうとしないために、他国の留学生たちは壁を感じて話さなくなるため、ここまで彼らと話しをし、打ち解けた学生は私が初めてだと。

私たちはしばしば、自分と違う国籍の人とのコミュニケーションがうまくいかない時、自分たちとは違うのだ、と誤った解釈で"その人はこんな人"と決めつける癖があると思う。私の経験からいえば、他の人は見ようとしなかったその先に見る彼らの良さを痛感した。知らず知らずに作ってしまう苦手意識を打破し、歩み寄ろうとすれば、相手を理解できると思った。いまや私は、日本で聞こえてくる中国語に毎度胸が高鳴る。私にとって、中国語は彼らと打ち解けられた1つの大きなツールだったと感じている。その力を更に伸ばし、もっと大きな輪をこれからも広げていきたい。

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