尊敬する友人とわたし
五味梨里
私には尊敬する友人がいる。初めて海外にできた友人だ。今でも彼女と出会った日のことを鮮明に覚えている。
昨年10月、私は日中友好大学生訪中団第2陣の一員として初めて訪中した。当時大学1年であった私は中国語を学び始め、中国という国に興味を持ち始めたばかりの頃だ。将来グランドスタッフになりたいという幼い頃からの夢があり、中国人観光客が年々増えているいま、航空会社で必要な人材とはどのような人か、と考えたとき、中国語を話せる人材だと思い、そのような理由で大学の授業で履修し始めた。ですから、「中国」という国についての知識は特に何もなく、また私と同様、何も知らない周りの大人たちは口を揃えて、中国なんて…と軽蔑したものの見方をしていた。私もその一人であった。日中関係が不仲として私たちの頭に根付いているのは今に始まった話ではない。いかにも中国が悪い、と思わせるような報道をするメディア、それに洗脳される視聴者。この繰り返される負の連鎖。このような現代の日本社会に生きていく若者たちは中国に聞く耳を持たない。
しかし、中国語を学ぶ楽しさを知り、先生の中国に対する熱心さの中で学ぶうちに、自分の中国語がどこまで通用するのか試したいという思い、さらに中国の文化に自分の目と耳で感じたいという思いから訪中したいと思うようになり、その強い思いが実現した。
メディアを通してではなく、自分の身体で感じる中国はプラスの部分もマイナスの部分もあった。それでも初めて訪れる国、行く先行く先が私にとって新しく、見るもの、感じるもの全てを吸収しようと心を弾ませていたことを今でも忘れない。
そして西安外国語学校。ここで彼女と出会った。友人になるに言語の壁も時間の長さも関係ないということは彼女との出会いで痛切に感じた。いつもニコニコで優しい雰囲気のごく普通の女の子。しかし、彼女の夢や母国に対する思いは同世代とは思えないくらい立派だった。休日は最低でも8時間は勉強するという彼女は日本語を専攻し、学び始めて3年目にして日常会話に支障のないほどで、さらに英語はもっと流暢に話していた。どうしてそこまで勉強するの?という私の質問に、「将来の中国を背負っていく役目を果たさないといけないから」、「中国語、英語そして日本語を使って中国と隣国日本をつなぐ外交官になりたい」と答えてくれた。本気で母国について考え、どうしたら経済発展していくのかを語る彼女の姿を目の当たりにし、自分のことが小さく感じた。そしてまた、私も日本の将来について他人事にせず真剣に考え直すきっかけとなった。
彼女とは未だに連絡を取り合っている。お互い刺激を与え合う存在として認識はしているが、やはりいつも彼女が先を行っていて刺激をもらいっぱなしだ。彼女は私の永遠の友人であり、永遠に尊敬する人であろう。
大学2年生になり、半期を終えようとしている今、中国語の授業に加え、中国の言語文化についても学んでいる。中国映画を見る機会も増え、最近気づいたことがある。中国人は家族愛に溢れていて、人情に非常に厚いことだ。私は中国人の一番大好きなところを見つけた気がしている。隣国・中国についての知識が増えた今、いつまでも不仲でいるのがもったいないとさえ感じている。日本と中国。近い将来仲良く手を取り合っていくためにもさらに知識を増やし、自らが行動していかなければならないという使命感に駆られている。
きっといま、この時間も彼女は私と同じ使命感を感じながら、努力を惜しまず勉学に励んでいるだろう。だが、尊敬する彼女に次会う時は、彼女の一足先に行って私がいつも受ける刺激を彼女に与えられる存在になっていたい。