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ありのままの中国を受け入れるために

  

ロッケンバッハ怜

「尊馬油(ソンバーユ)が無い!」 私が大学で知り合った中国人の友人は、薬局から出てくるなり悔しそうに言った。当時、スキンケア商品について全くの無知であった私が、尊馬油は何かと友達に尋ねると、それは美肌効果のある馬の油で、中国人の爆買いで品切れが続いている商品だと教えてくれた。しかし、私には馬油やそれを肌に塗る中国人の習慣が、何だか原始的で異様に感じられてしまい、私の表情から気持ちを察した友人に笑われてしまった。

ところが、私の馬油や中国人に対する見方は簡単に覆された。帰宅後に尊馬油について調べてみると、それは日本の化粧品メーカーによって開発されており、日本人の愛用者も多いことが分かった。それ以降、私はその馬油が最先端の化粧品開発で生まれた商品のように感じるようになった。中国人が私たち日本人のように新しく高品質な商品を求め、流行にも敏感な人たちという印象に変化したのである。そして恥ずかしながら、私は無意識に日本を中心として、常に相対的に中国を評価していた自分の考え方にも気づくことになった。

日本で育った私にとって、大学に入学するまでに隣国の中国を勉強する機会は多くあった。学校の授業では中国の歴史について北京原人の時代から勉強し、学外から招いた戦争を経験された日本人の方々からは、日中戦争の話も聞かせていただいた。また、日本のメディアからは、中国と日本の間の政治問題なども学んだ。しかし、これらの勉強には何かが欠けていたように思う。

それらの勉強に足りなかったことは、まさに私が友人から学んだこと、つまり、日本の視点に囚われ過ぎず、中国を世界の一国として尊重する姿勢である。それは新たな友人と知り合う時のように、自分と比べて良いとか悪いとかを考える前に、相手を認め受け入れることでもある。これは中国に限らず、文化や習慣の異なる国との友好のためにも大切な姿勢であろう。さらに、日本の視点にこだわらないことで、偏らない中国の知識を得ることも可能になる。

現在、私は以上の課題に対して、意識して行っている習慣が二つある。まず一つ目は、大学や文化交流イベントで中国人と直接交流することである。中国人に限らず、日本視点に囚われずに外国人と触れ合うには、彼らと交流することが最も効果的だと思う。その意味で、日本各地の中国文化交流イベントの存在意義は大きく、それらの利用価値は高いと私は思う。二つ目は、中国を含む外国のソーシャルネットワークサービスを利用し、そこからも情報を得ることである。日本のメディアとは違った視点から書かれた記事を読む機会は貴重である。

しかし、日本の誰もが中国の捉え方を深く考える訳ではない。私は日中友好を継続させるために、日本人一人一人が中国を柔軟に受け入れられる素地を教育過程から身につけられたら良いと思う。私は、ヨーロッパの教育で、複数の外国語を学ぶことで国際感覚を養っていることに倣い、日本でも中国人教師を招いて中国語を学ぶことが有効であると思う。しかし、英語の重要性が叫ばれる中、英語学習に加えて中国語学習も即導入することは困難であろう。

私は、日本での英語指導教員として英語圏国出身者のみならず中国出身者も招き、異なる文化を持つ人たちと交流するツールとして英語を学ぶことなら実現可能だと思う。現代では英語圏国のみならず非英語圏国出身者とも英語で意思疎通を図ることが求められ、その中には中国人も多く含まれる。中国人との英語の意思疎通に慣れることは時代の要請に沿うと同時に、中国理解にも繋がると思う。

中国の小説家である魯迅は、「心は、外から刺激を受けないと、枯死するか、さもなければ、萎縮してしまう外はない」と書いた。日本視点の内から外への見方のみならず、ありのままの友人として、中国を外から内へ受け入れる視点も持つことで、実りある日中友好関係を未来に繋げていけると私は信じている。

 

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