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一つ屋根の下

 

                                   加藤亜衣

玄関から「ただいま」と、少しぎこちない声がした。彼女たちは、中国から一年間、私の通う大学で学ぶ留学生たちだ。ここは、留学生の彼女たちのために建てられた一軒家(以下、ハウス)であり、私は、大学二年生から大学三年生までの一年間、四人の中国人の留学生と私の5人の生活を送っていた。それまで、異文化の生活に触れたことがなかった私にとって、日本の文化と中国の文化が共存し合うハウスでの生活は、毎日が冒険のようであった。

寮長としてのボランティア活動内容は、主に留学生の日常生活で困った時に身近で相談を受けることである。しかし、相談できるアドバイザーと言っても、彼女たちとの信頼関係がなくてはこのような関係性を持つことは出来ない。そのため、私が担当していたハウスは、中国人だったこともあり、私も彼女たちに中国語を教えてもらうなど、お互いに対等な立場であった。

食事の時は、お互いの食文化を学び合う場であった。私が刺身や生卵、納豆を食べていると、おどおどしながらも積極的に挑戦するなど、和食を共に楽しんだ。私自身も彼女たちに、中華料理屋さんでは味わうことが出来ない家庭的で温かい様々な中華料理を食べさせてもらった。こうして、少しずつ彼女たちとの信頼関係を築いていった。夜ごと盛り上がる度に、恋愛話に国境は無いのだと痛感した。

されど時には、ぶつかり合うこともあった。学校生活とアルバイト、ハウスに帰れば共同生活の日々に皆、疲れが増していた。私が日本語で話しかけると、一人のハウスメイトは中国語の強い口調で話した。勿論、私が中国語を上手く話すことが出来ないことを知っている。しかし、彼女は日本語を話すことに疲れてしまったのだろう。決して悪気があったのではないことも分かっていたが、私は、悲しい気持ちになり、「おやすみ」とただ一言だけ言い残し、自分の部屋に帰った。その夜、「コンコン」と優しいノックが聞こえた。開けてみると彼女が申し訳なさそうに、「さっきは、ごめんね」と言ってくれた。中国の文化では、気軽に「ごめんね」や「ありがとう」を言わない。さらに、留学生から「ごめんね」を聞いたことのなかった私にとって、この一言は、衝撃的であった。それと同時に、寮長でありながら彼女の複雑な心境に、気づくことが出来なかったと反省した。その夜は、彼女と一晩中、お互いに思っていたことを話し合い更に絆が深まった。

彼女たちとの生活は、決して楽しいだけでは、務まらないことも多くあったが、一つ確かに言えることがある。友情という言葉では、形容しきれない太く結ばれた絆があることだ。血縁関係もなく国籍も違う私たちが、一年間を通して、確かに家族になった。幼い頃からメディアを通して、私の目に映る日中関係は良好とは言えなかった。けれども、国と国同士の視点では見ることが出来ない人と人の繋がりを、私たちは持つことが出来た。彼女たちは、現在、帰国してそれぞれの道を歩んでいる。私たちの繋がりは、人から見たら小さな輪であるかもしれない。しかし、その小さな輪が次第に人と人を繋げて行くことによって、国を超え大きな地球という球になるのではないか。人と人の繋がりは、中国と日本を変えて行く事が出来ると、私は信じている。

 

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