4年越しのこの身で感じた中国
中林郁貴
そのとき、私は本当の中国を知った。
2012年、当時高校3年生だった私にとって目に飛び込んできた映像はあまりにも衝撃的だった。塾から帰宅すると、テレビでは中国で行われていた日本への抗議活動の映像が流れていた。イトーヨーカ堂やイオンは見るも無残に破壊され、日本の国旗は大勢の中国人が取り囲む中、燃やされていた。反中感情、恐ろしさや悔しさは当に通り越しており、あきれた感情のみが心を駆け巡った。こんなことをする人が地球上に存在するのかと。しかし、不思議にも心の中に一つの好奇心が芽生えていた。それは実際にこの足で中国を訪れ、自分の体で中国を感じたいというものだった。それから、ずっとその気持ちは心に秘めていたものの時間だけが過ぎていった。
しかし、ある日突然そのチャンスは訪れる。大学に入学した私は構内を歩いていると一枚のポスターが目に飛び込んだ。「立命館大学孔子学院主催 中国語・文化研修セミナー」
「あっ、これだ!」
私は夢中でポスターを写真に収めた。家に帰り、親に話すと
「中国は危ないからやめとき。対日抵抗感持ってる人ばっかりやろ。」
私は必死に説得した。高校時代から中国に行きたかったこと。実際に見に行かなければ、本当の中国はわからないこと。そして、日本にとって中国は避けては通れない大事な隣国であること。親はそこまで言うならばと理解してくれた。
迎えた渡航当日。胸の中は自分の体で中国を体感できるという期待と乱暴や不平等な扱いをされるのではないかという不安が入り混じっていた。着陸予定時間に近づくにつれ、飛行機の窓から見える景色は汚れていく。空気が悪いのは日本で報道されていたのと一緒なのだと少し落胆した。
それから、3日後初めて町中に出ることができた。初めてこの目で見た北京の町は活気にあふれ、とても力強かった。そして、私の期待を裏切った街であった。
タクシーで王府井から北京大学へ帰る道中、稚拙な私の中国語にも笑顔で応対してくれた。そして、運転手が
「どこから来たの?」
と私たちに尋ねる。
「日本です」
と私は答えた。その瞬間私は一瞬の不安を感じた。態度を急変させるのではないかと。
「この車はTOYOTAだよ。とってもいい車だよ!」
その言葉を聞いた瞬間、胸からこみ上げるものがあった。ニュースで見た日本車が壊される映像。しかし、日本では見ないような古い日本車を大切に使ってくれている目の前の中国人。求めていた中国がそこにはあった。
さらに地元のスーパーを探していた時、子連れの親子に場所を尋ねてみた。
「最近的超市在哪儿?」
すると、発音が悪かったようでお母さんに笑われてしまった。ただ、スーパーの場所を教えてくれただけでなく、その場で発音を直してくれた。
実際のこの肌で感じた中国は親切でとても暖かかった。3週間の研修が終了し、帰国した後も1年間で2度中国へ足を運んだ。中国をもっと深く知りたいという感情が沸いてきたのである。国と国の友好関係を繋ぐには一個人ではなかなか難しいことかもしれない。しかし、個人個人の友好関係を構築するのはこんな私でもできることがあると信じている。そんなことを胸に秘めながら、さらに中国という国を理解するためこの夏北京へ再度飛び立つ。