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自分に与えられた役割

 

 諸田正宏

福島県郡山市郊外で育った私は、子供のころから野草採取に興味もある「変わった子」でした。興味のあることに突っ走ってしまう性格で、受験勉強そっちのけで野山を駆け回り、念願だった国立大学農学部に進学。中国農業論を学ぶ研究室に所属しました。研究室には、多くの中国人留学生が所属していました。彼らと酒を飲み、未来を語った日々は私の大きな財産になっています。彼らは、日本人とはまったく視点が違いました。津軽にある伝統料理「けの汁」。新鮮な野菜と田舎みその料理がとてもお気に入りでした。ホタテとナマコの養殖場を見に行った時の事、しきりに「これを中国に輸出したい」「黒ナマコは、黒いダイヤ」だと言っていて、彼らは自分の役割を認識して将来のやりたいことを実現するために日本に来ているのだ、と大いに刺激を受けました。

大学卒業後、大手レストランチェーンを経営している会社で約3年半にわたり外食産業・フードサービスのノウハウを身に着け、調理師免許を取得しました。「素材をどう生かすか」「食を通して人の心を動かすには」ということを四六時中考えているサラリーマン生活でした。大きな転機となったのは、2011年3月11日の東日本大震災でした。福島県郡山市の実家が半壊し、福島県の大部分が放射能の被害に見舞われました。サラリーマン生活はとても有意義で学びの多い日々でしたが、「これからの自分の人生をどう生きるか」と考え、自問自答を繰り返しました。

2012年6月末で会社に辞表を出し、島根県飯南町に移住しました。「神話の国・出雲」で私が関わったことは、頓原宇山営農組合でのブランド戦略でした。べにあずま・べにはるか(さつまいも)の栽培に関わり、焼き芋にして冷凍保管し、栽培・収穫・販売に従事しました。植え付けから収穫までの一貫した栽培技術を身に着け、地域からも頼りにされる存在になりました。3年間、泥まみれになりながら農業に取り組んだことで技術と体力をつけることができ、自信にもなりました。しかしながら、3年間の契約期間を満了したのち、途方にくれました。さつまいもは、手間がかからない分、単位あたり収益、いわゆる農業所得も低く、「さつまいも栽培だけで食っていく」ことはできなかったのです。資金面においても、新規就農のめどが立ちませんでした。

私はふと、中国に帰った友人たちのことを思い出しました。彼らは、日本の商材を輸入し、中国で広めていく貿易商などの仕事についていたのです。彼らは、日本の食材を探していました。私は、「自分に与えられた役割」というのを感じるようになりました。「農業は誰にでもできるけれど、自分には違う視点があるのではないか」と。日本の食材の魅力を引き出せるような商品開発、販路確保などに取り組むなど、農業生産者のサポートを行うようになりました。

出雲大社には、中国からも多くの観光客が訪れます。さつまいもは、干しイモにするととても人気が出ることが分かりました。日本の芋は、とろけるような自然本来の甘さがあり、中国で同じ味を出すことは難しいようです。干しイモに適した品種を栽培することで、出口を意識した農業が行えるようになりました。地域から出たことのない農家さんにとって、自分の地域や商材を客観的に分析して発信していくことは困難です。私には、ヨソモノの視点がある。中国の人が何を求めているのか、何がほしいのか、どんな提供方法が望ましいのか。それを伝えて、商品づくりに生かしていく。ちっぽけな私の、大きな武器になると気付いたのです。今後は「ふるさとプロデューサー」として、島根県産農産物の販路拡大などに取り組んでいきます。中国にいる仲間とともに「自分に与えられた役割」をしっかりと果たしていきたいです。

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