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1人のアンバサダー

 

下山いより

「バイトやめたいです。」

私は中華料理店でアルバイトをしている。そこは熊本県民なら大抵の人は知っている中心街にある有名な店で、平日は仕事帰りのサラリーマン、休日は子供連れの家族が来店し、いつも人で賑わう飲食店である。
私はずっとこのアルバイトを辞めたいと思っていた。人見知りであまり馴染めていないし、仕事の忙しさに見合わず、時給も大して高いわけではない。おまけに家から片道30分もかかる。そういう気持ちを抱えながらも、気づけばずるずると1年も続けていた。

そういう訳で、やっと言えたこの言葉。しかし、社員さんは言葉を濁し、人がこれ以上減るのは困るのであろう、話は持ち越されることになってしまった。
 そんな時、4月に熊本大地震が起きた。当然その店も多大な被害を受け3ヶ月もの間、店を閉じることになってしまった。私が辞める話などしている間も無く、姉妹店の手伝いとして働きに出ていた。すると、ある日老父婦のお客様がいらっしゃった。彼らは帰り際に私にこう言った。
 「あのお店はまだ開かんとね、寂しかなあ。」
 そうだ。あの店のあの中華の味を食べに来る人が沢山いるのだ。これを聞いた時、私はこれまで店で働いていたことを思い返していた。わざわざ県外や海外から来てくださるお客様。「有難う。また来るね。」と満足げに帰られるお客様。彼らは何百もの飲食店の中からここの中華料理を選んで食べに来る。きっと私がそんな中華料理店で働く中での使命は、中華を純粋に多くの人に楽しんでもらうことではないだろうか。本場と味は違えども、中国からずっと昔に伝えられたものである。直接的な関わりはないが、私は中国という国を食文化から広めるアンバサダーの1人なのである。2人のお客様の言葉は誰しもが思っていることだったろうが、そのときの私には大切なことを気づかせてくるものであった。
 店の数あるメニューの中に太平燕という料理がある。店の一番人気の品だ。これは、熊本の名物であると言われているが、もとは中国から伝承したもので、そこにアレンジが加えられた。日本と中国の文化が出会い、融合してできたもののひとつだ。太平燕の他にも日本には、同じように文化が混じり合ったものが多く存在する。例えば、漢字や宗教もそうである。
 現在、日本は中国と多くの問題を抱えている。そのこともあり、日本人の中国人にもつイメージは決して良いものとは言えない。しかし、それだけで中国の文化でさえも決めつけ、忌避してしまうことは良くないことである。太平燕のように日本にあるものには全て歴史的背景が存在し、中国文化の影響を受けたものは少なくない。表面的な問題ばかりを気にして盲目的になってしまうのは、異文化コミュニケーションにおいて弊害となる。何事も歩み寄ることが大切であり、どんな小さいことでも受け入れることがお互いにとって最善の理解となる。今回のことがきっかけとなり、私自身もっと中国を知りたいと思った。そして、料理を通して店に訪れる人に中国を身近に感じて欲しいと思った。そんな役割を自分の中で強く感じ始めている。
 店が再開したら言う言葉はもう決めている。
 「やっぱりバイト、辞めたくないです。」

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